【書評】横綱になると親方から「おめでとう」とは言われない理由

 

身長199センチで体重がマックスで160キロという恵まれた体格で、昭和59年、20歳で新十両、その一年後には小結。毎場所のように三賞を受賞した。パソコンが趣味だったこともあり「新人類」などと、珍しい人種のような言われ方をされていた。目標とする力士は誰かと聞かれると、必ず北の湖関と答えていた。普通なら自分が所属する部屋(立浪部屋)の先輩力士を挙げるものだが、彼はよその部屋の横綱の名前を出すので、それが理由でずいぶん苛められたそうだ。61年1月場所で新大関に昇進、9月場所で横綱に昇進。横綱昇進を機に「双羽黒に改名させられたのは不本意で、彼はそれまでの「北尾」でいきたかった。

「双羽黒」という四股名は、立浪部屋の大先輩双葉山、羽黒山の四股名の合成であり、わたしも当時チョットナーと感じた。「横綱昇進後、つねに私は二人の偉大な先輩のようにならなければいけないと、部屋の親方衆から24時間言われ続けてきた。とてもつらいことです」はわかる。しかし、「自分なりのオリジナリティを否定されてしまったんです。それは人間としてのオリジナリティにも通じるものがあります」「わたし自身の心の未熟さだったと思っています」なんて格好いいこと、いまだから言える。当時の心境をストレートに語っていると筆者はいうが疑問符。「横綱はつらいよ」がよくわかる本である。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock

 

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