【書評】なぜソムリエ・田崎真也の表現力は世界で通用するのか

 

テレビ番組のグルメレポーターや雑誌やブログのレビュー記事などを見ると、「美味しさ」を正確に表現できていない、何かを伝えたつもりが何も伝わっていない、という表現が多すぎる、と田崎真也氏は語る。

ステーキやハンバーグを食べた時によく使う、「肉汁がじゅわっと広がる」という表現は、ただ肉汁の量を表しているだけである。不味い汁気が多く出てくることもあるし汁気がなくても美味しい肉もあるから、肝心に肉汁の風味を表現するべきである。

「バターを贅沢に使ったソース」「牛肉がたっぷり入ったコロッケ」などというのも視覚から来たを表しているにすぎない。「プリプリした刺身」「ほくほくのポテトサラダ」などというよく見る表現も、それは触感に基づく擬声語的な表現にすぎない。「ほっこりした味わい」「まったりしたうま味」などというのも、人によって定義が違う言葉で、意味の共有のできていないことばだから、言葉として使えない。

また、「手作りだから美味しい」「厳選した素材を使っているから美味しい」「地元の素材を使うから美味しい」といった表現も、プロセスにすぎないから、美味しさを表す要因にはならない。

日本人は食べ物に関して非常に関心の強い国民ではあるが、食べ物に関しての表現力は、適切な表現例が乏しく表現ベタである、と田崎真也氏は言う。そのような不十分な表現が頻繁に使われ、それを不思議だと思わずに受け入れると、本物の表現力を獲得する妨げになっていく。

五感のセンサーでキャッチした感覚を言葉に置き換えて記憶するというテクニックを身につけると、表現力は抜群に伸びる。そのためには、五感を鍛えていく、つまり物事を多面的多角的に感じる能力を鍛える。

洞察力に優れ、表現力が豊かになっていくと、同時に感受性が豊かになっていって、人の気持ちを察することもできて、相手への気遣いや思いやりも生まれる。その結果、より良い仕事ができて、より有意義な人生を送れるのではないか、と田崎真也氏は述べている。

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