えーと、たとえばですねえ。
道を歩いていて他人がドンとぶつかったのに謝りもせずに行ってしまったとしましょう。フツーこういうときのもやもやには「むかついた」とか「カッとした」とか怒りに関連する名前がつけられますよね。まあ、私ならモヤモヤする前にムカムカしますが(^Д^)。
ところがここに「悲しい」とか「ガッカリした」とか、ちょっとハズれた名前をつけてしまうことがあるんです。これ、意外と多いんですよ。「むかついた」「カッとした」を使い慣れていないとよく起こることです。
そんなバカなと思うかもしれません。でも、今までセミナーやいただいた相談メールなどを拝見している限りでは、実に多くの方がこの間違いを犯し、しかも気がついていないんです。
しかも、この「ハズレた名前をつける」の中でもサイアクの名前をつけてしまいがちなんです。そのサイアクの名前とは「ナンテコト無い」です。
つまり、自分の中に湧き起こった感情自体を無視しているんです。他人にドンとぶつかられて、ムカッときたのに「ムカもモヤもイラも、無い」と扱ってしまうんです。
これが実はケッコーマズいんです。名前にはその内容を規定する力があり、さらにはその先の処理も自ずと決定する力があります。つまり、怒りという名前には、怒りにふさわしい処理をあなたに要求してきますし、悲しいという名前には、悲しみにふさわしい処理をあなたに要求してくるんです。
なので、名付けが間違っていると、その後の処理まで間違ってしまい、結果的にもやもやが適切に処理されないということになるんです。「ムカついた」を「悲しい」と間違えた場合には、怒りは認識されません。しかも「悲しい」に応じた対処をしてしまうんです。だから、ナンテコト無いの場合には、なにごとも無かったかのように振る舞うという処理になってしまうんですよ。こうして感情は無視され、あなたの心に潜り込んで、だんだん澱のように溜まり、いつか爆発してしまうんですね。
毎日をヘーオンに幸せに送るためには、言葉にしにくい感情を無視しないことです。無視するくらいなら、まだ間違えた名前をつけてしまう方がマシです。存在に気がついているわけだからね。
もっとも良いのは、自分の感情に慣れそれに適切に名前をつけそれを表現することです。もやもやの大半はこのどれかが出来ないからです。
感情を言語化してみる。それだけでモヤモヤが解消していくモンですよ。
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