勝海舟が恐れた二人の人物
そんな時、私は「横井小楠」と出会った。いや、歴史上の人物としての横井とは、大分以前から出会ってはいた。
幼少期に見せられた自家の家系図の中に「勝義邦」通称麟太郎、号海舟という名前があることを見て、ひどく感激したものである。その影響から、勝の自伝の『氷川清話』は中学生の頃から読んでいた。その中に次のよく知られている文章がある。
おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ。横井は、西洋の事も別に沢山は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思つた事がしばしばあつたヨ。
この「恐ろしいもの」という表現は、少年の“怖いもの見たさ”の好奇心をすぐるのに充分であった。そこで私にとって横井小楠と西郷南洲は忘れてはならぬ人物となった。したがってその人物像については、かなり以前から知ってはいた。
しかし、「恐ろしい」と海舟ほどの人物に言わしめたその横井の思想の真髄に、真正面から対峙したのは、ここ10年の事である。
知れば知るほど興味深さが増す人物なのである。更に、伝記・評伝、研究書など良書が意外なほど多くあり、最近になればなるほど素晴らしい著作が続々と世に出てくる。
その紹介された横井の思想の中には、冒頭に述べた人類社会の悲願であり、しかし達成されぬまま持ち続けるしかないと思われていた「戦争を起こさぬために」あるいは「世界を平和にする」という大命題に対する有効な解決の道筋さえもがあるのだ。
「国家主義」と「平和主義」という矛盾を乗り越えての理想社会の構築への具体的な「方法論」と、それを揺るぎないものにする為の「理念」とが、鮮やかに示されているのである。しかもそれは、私が約50年読み続けてきた『四書五経』の一つ『書経(尚書)』の深読みなど、儒家思想によって為されているという驚きがあった。
それは、私のこれまでの「漢籍」解釈の知見を一変させるほどの衝撃的な体験であった。
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