もっとも、韓国でもそうですが、今日、歌手がスターとしての地位を獲得できるようになったのは、ある意味で日本の功績なのです。とくに中華世界ではそうです。
さまざまな宗教の流派や職業を表す言葉に、「三教九流」というものがあります。これは漢の天下崩壊後に徐々に熟成して広がっていった言葉です。その後、約100年ほど前の宋と元の時代から定着しました。
音楽や舞踊については、紀元前300年の頃の春秋戦国時代の中国でもさかんでした。しかし、漢の武帝が「儒家独尊」として儒教を国教と定め、その後の隋の時代には「科挙」が任官の登竜門となると、それ以後は「文章が強国の大事」とされ、「医者、歌手、俳優」は「三教九流」の中でも最低クラスの職業と位置付けられるようになったのです。
大中華が決めたことには小中華も従うため、朝鮮半島も同様でした。儒教国家の朝鮮でも、これらの職業は蔑まれてきました。
それを逆転させたのは、日本が開国維新して西洋から取り入れた近代化の波でした。それまで最底辺の職業と蔑視されてきた「医者、歌手、俳優」を職業とする人々は、一躍、憧れの存在に変身してしまったのです。
台湾社会は、長い間原始的な社会でした。実体験としてよく覚えているのは、幼い頃引っ越しをした際、新しく家を建てる場所は最低でも三尺の土を掘ってから建築しなければ「不吉」だという迷信が強く信じられていたことです。このように、台湾はもともと迷信や言い伝えなどで社会が形成されていた原始的な状況でした。そんな社会観を一変させたのは、やはり「日本時代」でした。
一方で、近代化の波に乗れなかった中国は独自に大躍進から文革へと破滅の道を歩んでいました。近代化の波に乗れなかったということは、中国の社会観の変化もなかったということです。
そのため日本人として国際コンクールで初めて入賞した台湾人音楽家の江文也は、戦後、中国にわたって文革中に粛清されました。彼が音楽家だったからです。「三教九流」の概念は変わらぬままでした。今でもその名残は随所にあります。
中国では、7か月もあれば漢方医になれますが、日本で医者になるためには7年ほどもかかります。
現在、中国で俳優や歌手がスターになっているのは、テレビやラジオが登場したからです。一見すると、俳優や歌手は中国も欧米も日本も同じようにスター扱いですが、その実、中国では「三教九流」のなかでの下層という位置はあまり変わっていないのです。
中華の人々と日本をはじめとする近代国家の人々との文明、文化は、現在でも想像以上に異なっているのです。
※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年8月28日号の一部抜粋です。