俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論

 

「理想的な死」に導いてくれるのは誰?

穂村 そういうおじさん的な存在って、けっこういろいろなところで描かれてるよね。『サザエさん』のノリスケさんも昔は磯野家に居候してたらしい。

春日 「おじさんの需要」に気付いてる目ざといヤツがいて、時々でそういう作品を世に送り出すんだろうね。最近だと『ぼくのおじさん』(2016年)という映画があったな。北杜夫(1927〜2011年)の小説が原作で、松田龍平がおじさんの役だった。全然ヒットしなかったけど(笑)。

穂村 どんなおじさんなの?

春日 主人公の少年の家に居候してるんだけど、大学で臨時講師として哲学を教えてて、何かと屁理屈をこねるんだよ。で、少年をダシに小遣いをせしめたりしながら、ダラダラ漫画読んだりしてて。親とか権威の側にいない大人で、無責任なところがあって、でも実はいろいろな世事を知っている——これが「理想のおじさん」の基本条件だよね。そういう存在が、自分の人生を導いてくれるということへの憧れ、とでもいうか。

穂村 じゃあ、「どう生きるか」の対極にあるとも言える、「俺たちはどう死ぬのか」というテーマになると、そのへんはどうなるんだろう? 導いてくれるおじさん的な存在っているのかな?

春日 「どう死ぬか」なんて誰も教えてくれないよね。

穂村 そうだよね。「死」を知っているのは死んだ人だけだもの。

春日 導いてくれるヤツっていったら死神くらいなもんで、まあ世話になりたくないよね(笑)。で、人から教えてもらえない以上、自分で考えるしかないわけで、そうなると死は、やっぱり「個々人のもの」ということになるのかな。

穂村 『君たちはどう生きるか』みたいに、「こうあるべき」とか、社会的にもとりあえず多くの人が「まあ、そうだよな」と納得できるような、共有できる答えがないってことね。

春日 で、結局「人それぞれ」っていうのが、面白いところでもあり、共感して安心できないから辛いところでもある。

穂村 どう死ぬか——つまり、死へのスタンスが「人それぞれ」ならどう死んでもいいはずなのに、なかなかそんなふうに腹は括れない。できれば、理想的な死というものに導いてくれる人がいたら楽だけど、そのことに一番詳しいであろう死神が「死」について教えてくれる時って、もう自分ではなにもできない。リハーサルとかお試しとかなくて、ぶっつけ本番だから。「どう死ぬか」というテーマは、来たるべき死に対して、どういう心構えをすべきか、ということなんだと思うんだけど、死神来ちゃった時点で即終了だもん。

春日 だから、死神に教わるのではない形で、どうやって死というものを自分事として考えればいいのか。それを模索していくのがこの連載、ということになるのもね。でもさ、「どう生きるか」というのは、まあ考えられると思うのよ。一方で、「どう死ぬか」っていうのは、実際問題、考えることが可能なのか? と疑ってしまう自分もいて。そもそも人がコントロールできるようなものじゃないんじゃないの? って。

穂村 確かに、自分ではコントロールできないものだからこそ恐いし、みんなついつい気になってしまうという側面はあるよね。

「どう生きるか」と「どう死ぬか」は非対称

春日 さっき「死へのスタンス」って言葉が出たけど、そういうのって、意外と決まらねえなって俺自身は思ってて。というのは、もうね、日によって違うんだよ。「誰にも知られずひっそり死にたい」って思ったその翌日には、「ああ、劇的に死にてぇな」に変わっていたりする。また別な日には「世の中に中指突き立て死にたい」くらい攻撃的な感じなのに、翌日には「妻が幸せでいられるような形にしたい」みたいに急に殊勝なこと考え出したりして。

穂村 その日の気分で変わっちゃう。

春日 「死んだ後にポルノ見つかったらやだなぁ」が「いや、死んだら関係ねぇよ」になったりして、全然一定しないんだよ(笑)。でも俺としては、その揺らぎこそが「文学」なんだと思ってるんだけどさ(笑)。

穂村 過去に「死」をテーマとして扱った文学作品というのはたくさんあるわけだよね。また、作家が死の直前に書いていた遺作みたいなものもあって、それを書いている時、その人は限りなく「死」に接近しているようにも思える。だから、そういった過去の人たちが残したものが、参考になるかもしれない。

春日 これまでの「死」を描いた作品群が、「おじさん」の役割を果たしてくれるかも、ということね。

穂村 うん。でもさ、考えてみると、そもそも「どう生きるか」と「どう死ぬか」は非対称なんだよ。自分がこれからどのくらい生きるのか——つまり自分の持ち時間みたいなものって、今50代ならあと数十年くらいかな、みたいに何となくイメージできるじゃない? それだけの時間があるなら、こういう風にしてくと理想の姿に近づけるかな、みたいに逆算ができる。

春日 不慮の事故とか、突然病に倒れるみたいな形で、不意に終わってしまわなければね。

穂村 うん。その場合はどうしようもないからね。死ぬということは、一般的な感覚で捉えると、一瞬のことと思われがちなところがあると思っていて。事切れる瞬間、的な。それでいくと、「どう死ぬか」と「どう生きるか」は、性質的に点と線くらい明確に別のものになるわけだよね。でも現実に即して考えると、「どう死ぬのか」というのは、首吊りか飛び降りか、はたまた青酸カリ飲むかみたいな話じゃなくて、実際には「どう生きるか」の最終結部の話なんだと思うのよ。

春日 つまり、老い方の話になるわけだよね。自分の死に向かって、どういう老い方をしていくのがベターなのか、と。

穂村 うん。まあ企画としては、「俺たちはどう老いるか」じゃあ、ちょっとキャッチーさが足りないから、「どう死ぬか」ってことになるんだろうけど(笑)。でも、「どう死ぬか」を考えるということは、「死の瞬間」という一瞬を考えることじゃなくて、自分の現時点での年齢からだいたい予測され得る最終結部に向かってどう生きるのか、そういう話になるんじゃないかな。点じゃなくて線の最後の部分。

春日 死に関しては、終わりよければすべて良し、とも言えなさそうだもんな。それまで最悪の人生だったのに、最後の瞬間だけすっごいハッピーになるなんて、ちょっと想像できないしね。

穂村 ずっと最悪なヤツだったのに、今際の際になって「みんな、ありがとう」ってニッコリ笑ってガクン、みたいなのも絶対ブーイングが起きるだろうしね。「いやいや、ありがとうじゃねえよ」って(笑)。

(第2回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。

穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。

ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二

ニコ・ニコルソン

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