立憲は自滅、維新は躍進。単独過半数の自民は衆院選で本当に“勝った”のか?

 

甘利幹事長落選の衝撃

これが自民党の勝利だったと言えるのかどうかが分からなくなる最大の理由は、神奈川13区での甘利明幹事長の落選である。比例復活で議席は保ったものの、自民党の長い歴史の中で現職幹事長が地元で落ちるというのは、前代未聞の珍事である。

しかもそれは、甘利自身の選挙戦術上の失敗とかいったレベルのことではなく、岸田が安倍・麻生両ゾンビの顔色を窺って、あろうことか彼らの代理人である甘利を自分の政権の要である幹事長に据えるという致命的とも言えるミスを犯したことに対し、地元の有権者から明確なノンが突き付けられたという意味なのである。

そもそも多くの有権者は、自民党支持者を含めて、長きにわたった安倍政権を通じて嘘や誤魔化しや言い逃れや隠匿や改竄がさんざん横行し、その象徴であるモリカケサクラ疑惑も一向に解明されぬまま葬られようとしていることにウンザリしてきた。岸田が当初、それらに安倍疑惑について「再調査」するかのようなことを言っていたのに、後では言葉を濁してしまい、そのモヤモヤと燻る炭火に油を注ぐように、同じような金銭疑惑の「再調査」の対象であるはずの甘利を、事もあろうに党のNo.2である幹事長に迎えてしまった。

問われていることの本質は、甘利が幹事長でありながら地元で落ちてしまったから辞任せざるを得なくなったという問題ではなく、アベスガ両政権の悪しき澱のようなものをモロに引き摺った岸田政権の惨めさが出だしから咎められたということである。

立憲民主党は解体的出直しが必至

立憲民主党は、結局のところ「中途半端」の罪により自滅的敗北を喫した。立憲の枝野幸男代表が、党内にも連合など周辺にも反対論がある中、共産党を含む5野党の選挙共闘態勢をかつてない規模で構築し、全289小選挙区の7割以上に当たる213区で野党候補者の一本化を達成したのは、重要な政治的成果である。

結果は、自公系と5野党系の2極対決となった142区で101対41、維新が絡んだ3極対決では40対21対10で、合計で自公系の141勝に対して5野党系の71勝となった。野党共闘が成らずに乱立となった72の選挙区で自公系が60勝し、5野党が6勝、維新が6勝に終わっているのを見れば、野党共闘の効果は歴然で、もしこれがなければ立憲はじめ野党は惨憺たる結果となっていただろう。

本誌が前々から主張しているように、ほとんど同じ時期にほとんど同じ選挙制度を導入したイタリアでは、保守側もリベラル側も複数の党が共闘し、政権公約を掲げそれを担う首相候補も明示して戦ってほぼ毎回のように政権交代を果たしている。政権交代可能な政治風土を耕していくには、必ずしも米英型の2大政党制である必要はなく、イタリアやドイツをはじめ大陸欧州ではむしろ連立政治への習熟を通じてそれをなしてきている。小選挙区制の欠陥ばかりを言い立てて中選挙区制に戻すべきだとする議論は根強く残っているが、まずはこの制度を十分に使いこなすことが先決で、その意味で今回の213区での野党共闘実現は画期的なことだった。

とはいえ、その効果がこの程度に留まったのは、共産がほとんど捨身になって予定候補者を下ろし一本化に応じた思い切りの良さに比べて、枝野はいかにも煮え切らず、「自分の方からお願いした訳ではないのに共産が擦り寄ってきた」のであるかのような共産はじめ他党に無礼な態度を取り続けた。それは、彼自身の選挙区でも保守色が強く「共産党だけはご免だ」という支持者がおり、党全体としても連合はじめ反共勢力の意向を無視するわけにはいかないという事情があるにせよ、今はもはやそんなことを言っている場合ではなく、共産も含めた野党共闘を深化させて政権交代を実現することに全力を挙げるべき時で、枝野はそれを堂々と主張して党内外を説得すべきだった。

これだけの共闘が実現したのに勝率がほぼ3割に留まり、立憲も共産も議席を減らす結果となったのは、主には枝野の責任であり、かれの引責辞任は当然だろう。次の代表は、野党共闘による連立政治への習熟を積極的な政権戦略として主張できる人であることが望ましい。

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