限りなく無色透明。なぜ安倍晋三氏は長期政権を維持できたのか?

rizi20220712
 

あまりに理不尽、かつ不条理な形で突然命を奪われた安倍晋三元首相。毀誉褒貶相半ばする政治家であったことは間違いありませんが、通算8年8ヶ月の長きに渡り国を率いた実績は、決して否定できるものではありません。何が憲政史上最長の政権維持を可能にしたのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、安倍氏が長期政権を実現できた理由を考察。その上で、「こうした人はなかなか出てこない」との評価を記しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年7月12日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月¥0で読む

 

政治家安倍晋三氏、長期政権のマジックとは?

一人の政治家が命を絶たれました。そもそも人の命に区別はありませんが、社会的には総理経験者、しかも歴代最長の通算8年8ヶ月にわたって総理大臣であった人物の死は、大変に重い意味を持つと思います。

私は、安倍晋三という政治家については、積極的な支持者ではありません。何よりも、第一次政権において、歴史修正主義的な振る舞いが日米関係を緊張させたこと、日本と周辺国の緊張を高めることを「良し」とする勢力に近かったことは、今でも良いことではなかったと考えるからです。

緊張に向かい合うのは必要なことですし、そこで均衡を回復したり、緊張を緩和するというのは政策として選択の必要な局面があります。ですが、好んで緊張を強める姿勢には、一般的に疑問を感じます。安倍晋三という人は、限りなく無色の人ですが、少なくとも緊張を「高める側」の人々を集合体に変えてしまう「触媒」として機能していたのは否定できません。そして、そのことは、国益と国力を増強するのではなく、毀損する行為だったからです。

政治家安倍晋三に対して、積極的な支持のできない理由はもう一つあります。それは、社会の構造改革、とりわけ産業構造改革に対して、守旧派を抑えることができなかったという点です。今から考えれば、第二次安倍政権の8年弱という期間は、モノづくりからソフト、バイオ、金融など「見えない価値」へ転換し、中付加価値創造の中進国型経済から先進国型の経済への転換の必要な時期でした。

ですが、曲がりなりにも、そして本質は外しつつも、改革の必要が叫ばれた小泉政権時代の流れを受け継いだ第一次政権においては、むしろ改革の骨抜きに加担したと言われてもおかしくない振る舞いがありました。そして改革に失敗して守旧派の正体を暴露しつつあった民主党政権を否定して発足したはずの、第二次政権においても、結果的には「アベノミクス第三の矢」は放たれずに終わったように思います。その意味で、政治家安倍晋三に対する評価は、棺を覆うという今、そのタイミングにおいて、やはり厳しめの評価になるのは仕方がありません。

その一方で、人間、安倍晋三という人への評価は、とても難しいものがあります。まず、逝去の報に接した際には、個人的な感慨で恐縮ですが、大変に悲しいものがありました。第一次政権以来のイデオロギー的な振る舞いには、冷ややかに見ていた私ですが、意外なまでの悲痛な感慨が襲ってきたのです。

世代が近いし、例えば夫妻の年齢を平均すると自分の世代になることもあり、同じ70年代の同じ東京という場所で、何らかの試行錯誤をしていたという共通の感覚があったのは事実です。ですが、それだけではありません。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月¥0で読む

 

print
いま読まれてます

  • 限りなく無色透明。なぜ安倍晋三氏は長期政権を維持できたのか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け