限りなく無色透明。なぜ安倍晋三氏は長期政権を維持できたのか?

 

その現象は、2000年代に反テロ戦争という戦時の求心力を使って米国を統治した、ジョージ・W・ブッシュに重なるものがあります。JWBという人も、巨大な父親の存在に押し潰されそうになり、前半生は迷走と低迷が続いた中で、後天的な一念発起で政治を志した人物です。庶民派ではないが、知識人ではなく、苦労人だが自業自得のようなところがあり、けれども晩成型でしかも少年のような心には屈折は見えない、そのようなキャラクターが、人々に親近感と安心感を与えた、そうした点では見事に重なっていると思います。

その上で、多くの人が思っているよりは「少しだけ賢いし、少しだけ自分でも考えている」というようなキャラクターのイメージも類似していると言えるでしょう。こうしたキャラクターは、意図して演出できるものではありませんが、結果的に、安倍氏の場合はそのようなマジックが働いたのは事実だと思います。

ところが、その裏返しの効果もあったのでした。いわゆる中道から左の知識層、あるいは読書人層には、こうした安倍晋三氏のキャラクターというのは、単に嫌いというだけではなく、国を滅ぼすのではないかという究極の「危機回避本能」が回ってしまって、最大限の嫌悪感情が流出してしまうことになったのでした。

勿論、その原点には第一次政権の際の「歴史認識」の問題があり、例えばその際に安倍氏が公刊した著書の『美しい国へ』への激しい違和感があったのは間違いないと思います。中道から左派の人々には、安倍氏がどこまで本気かはともかく「戦後レジーム」の否定というのは、イコール、軽武装と全方位外交による安全確保を捨てる、つまり日本と日本人を一気に危険に陥れるという思い込みがあり、ほぼオートマチックに「危機回避本能」の赤信号がバンバン点滅してしまったのだと思います。

問題は、第二次政権において、この「左派による安倍氏への嫌悪」というのが、不思議な効果を発揮したことでした。7年8ヶ月に及んだ第二次政権の期間を通じて、左派は政治勢力としては退潮していきました。これに反比例するように、左派による安倍氏への反発と嫌悪は拡大していったのでした。

そこには、色々な要素があったのだと思います。勿論、第一次政権の時からの歴史修正主義的な傾向への嫌悪がありました。また、彼らの言うところの新自由主義への嫌悪もあったのだと思います。冷静に考えれば、安倍政権の経済政策は十分に左派的で守旧的であり、左派が反発する理由はないはずなのですが、それはともかく、散々そう言うことが言われました。

一方で、安倍政権の側では、国連の「戦時の女性の人権運動」などに積極的に参画する、あるいは当時の菅官房長官が「人身取引の根絶」を必死でやるなど、第一次政権の当時に「慰安婦のトラフィッキング行為」の名誉回復をしようとした失点の回復に努力していたのですが、左派は全く無視していました。この辺は、韓国の左派世論と似ています。中の人を「右翼」と決めつけると、何をやっても「あの人がやっているのだから犯罪」と思い込んでしまうわけです。

そうした中で、籠池夫妻という詐欺師に安倍夫人が騙されて、その結果を官僚が勝手に忖度した事件、加計という衰退著しい地域における規制緩和の問題、そして桜という有権者の側の「たかり」の構造、という3つの事件が出てきたわけです。

確かにこの3つに関しては、知識人ではない安倍晋三氏には「ブレーキをかける」というようなハイレベルの統治テクニックはありませんでした。ですから、問題にズルズルと引きこまれる中で、敵味方の論理(特に詐欺師の行動などひどいものでした)に巻き込まれて、迷走してしまったわけです。

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