限りなく無色透明。なぜ安倍晋三氏は長期政権を維持できたのか?

 

安倍晋三氏の死に、悲痛な思いを感じたというのは、安倍氏が知識人ではなかったという印象から来るものです。安倍氏は、知識人ではありませんでした。つまりは読書人でもありませんでした。お断りしておきますが、安倍氏を貶めるために申し上げているのではありません。良い意味でも悪い意味でもなく、無色透明な区別として言うのであれば、安倍氏は知識人ではありませんでした。

勿論、知識人ではない政治家というのは、古今東西に数多くあります。貧困の中で生まれ、大衆の海の中を泳ぎ回って這い上がった政治家というのも大勢います。ですが、そうした人物というのは、苦難を通じて得た強い経験則と、その理論化、因果関係の分析と推測、といった生存の知恵を後天的に獲得していることが多いわけです。

安倍氏はそうしたタイプでもありませんでした。そのことを、上流階級の「お坊ちゃん」という形容で非難する人も多いようですが、そう単純なものでもないと思います。安倍氏の場合は、小泉内閣の官房副長官から官房長官を担う中で、国政の中枢に身を置く中で、かなり年齢を経てから経験の海に飛び込んだ、そんな印象があります。つまり、晩成型であり、同時に現場叩き上げでもあるわけです。

知識人ではない、貧困から這い上がったわけでもない、けれども貴族的な有閑文化人でもない、ある意味では永遠の少年、それも思春期よりはるかに前の温和な少年として、巨大な現実に放り込まれた方であるように思われます。

もっと言えば、その核にあったものは、限りなく無色透明で、しかもいい意味で善意の人であった、そんな印象です。私は、第一次政権の頃には、安倍氏の原点というのは「祖父岸信介のことを罵倒する左派文化人への反発」があったのではというイメージに振り回されていました。

ですから、安倍氏というのは若い時からの保守派であり、それを原点に左派的な政治運動とカルチャーに強い対抗心を抱いていた、そんな印象があったのです。ですが、考えてみれば安倍ファミリーの中の政治家は、岸信介だけではないわけで、核不拡散に一生を捧げた佐藤栄作、中道右派として緻密な実務家であった父の安倍晋太郎など、周囲の人々は「眩しいぐらいに偉く、また刻苦精励の人々」であったと思われます。

そんな中で、ノンポリで晩成型の少年が、祖父への非難を我が事のように受け止めて、幼少時から保守イデオロギーを抱いていたというのは、どう考えても不自然です。これは、周囲の作文に過ぎないと考えるのが妥当でしょう。

安倍氏の政治的な原点ともいうべきものとしては、2002年の小泉訪朝に随行して、結果的に安易な妥協を潰したという行動があります。こちらも、当時は若かった安倍氏に、全体の見取り図を描く度胸はなく、シナリオとしては、プロが描いたものに乗っかっただけなのだと思います。

以降、下野期間にリベラル金融政策の信奉者となり、さらに第二次政権では「アベノミクス」「日中首脳外交の回復」「朴槿恵政権との日韓合意」「オバマとの相互献花外交」「トランプの無茶を身を挺して阻止」「トランプによるG7破壊を阻止」「譲位改元」といった、どちらかといえば保守ではなくリベラルの立場で、政策を進めたわけです。これも、安倍氏の哲学に基づくものというよりは、周辺の、この場合は良い意味で日本の官僚組織のトップレベルの判断に乗っていったということだと思います。

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