聖徳太子の時代から日本人の根幹に根付く「国力の源」とは何か

 

ちょっと話はズレますが、聖徳太子からもう少し時代が下って奈良時代。日本国内では天然痘が大流行します。当時の日本の人口の3分の1から4分の1の人が亡くなったと言われていますから、今のコロナの比じゃない。その猛威は庶民だけではなく、当然ながら貴族にも及んだ。国政を担っていた藤原四兄弟も全員が天然痘で次々と亡くなるんですね。

今の我々は、天然痘はウィルスによって感染することを知っていますが、当時は目に見えない死に至る病がどうしてもたらされるか誰にも分からない。

そして、一つの結論に至る。「これはきっと怨霊のせいだ」と。

これは笑い事ではない。当時の人たちは真剣にそう考えた。令和の今でも、一つの家庭で4人の兄弟が短い期間に次々病に倒れて亡くなったら、「あの家は呪われている」「お祓いした方がいいんじゃないの?」って真剣に助言する人が出てきますよね。

そして、言われた方も「そうかもしれない」って思う。「普段の行いが悪かったのかも」とか真剣に疑い始める。これだけ「ウイルスが原因」と解明されている現代社会においてすらそうなんですから、昔はもっと真剣にそう思っていた。というか、そうとしか思えなかった。

ところが困ったことに「怨霊」を止める手立てが日本にはないんですね。

実は日本の神様は海外の神様と違って全知全能ではないんですね。日本の神様は怨霊、つまり無念のうちに死んだ人の恨みを止めることができないのは古事記を読めばわかります。

キリスト教やイスラム教など、海外の神様は怨霊より強いんですね。だから、先住民を虐殺して得た土地に、街を作ってそこに住んでいてもあまり気にしない。「神の意志に従ったまで」なので安心して住める。いわば、そこで亡くなってしまった人の怨霊よりも神の力の方が強い。

ところが、日本人はそんなことはできないんですね。「前王朝を倒して、そこに新しい王朝を」なんて「祟り(たたり)」が怖くて誰もできない。なにしろ日本の神様には怨霊を止める力はないんですから。天然痘の原因が「怨霊」ならば、日本の神様に神頼みをしても事態は改善しないんですね。それならどうするか。

そう、外国で最先端科学を学んで帰ってくるしかない。日本にはなくても、世界のどこかには天然痘を克服できる方法が存在しているかもしれないんですね。だから、当時の最先進国「中国」に学びにいく。

そこで、「大陸の方では仏教という教えがあって、人々の平和のために大仏を作っている」と知る。さらに、日本でも奈良に大きな大仏を作ることになる。こんなに大きな仏様なら天然痘を起こす祟りよりも強いんじゃないかと期待するんですね。

結果は、あれほど大きな大仏をもってしても天然痘は克服できなかったのですが。大仏も作ったら作ったで、今度壊してしまったら、大仏の祟りがありそうで怖い。だから都は移っても大仏は残される。実際にはそうやって大陸に行った人が天然痘ウィルスを持ち帰っていたなんて考えもしなかったでしょう。

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