聖徳太子の時代から日本人の根幹に根付く「国力の源」とは何か

 

話を戻しますが、そう考えると、当時の人たちにとって「三宝」とは、「他国の進んだ知識」だったと思うんです。つまり、当時の「最先端科学」です。

第二条ではそうやって「海外の新しい知識や考え方を取り入れなさい」って言ったんじゃないかと思うんですよね。

そして、第三条で初めて「詔は承りて必ず慎め」と「天皇の命令」についての話が出てくる。「天地の法則に基づいて天皇が出すものだからちゃんと聞くように」と言っているわけです。

だから、この国の治め方として、最高権力者からの命令の前に、まずは「和」を大切にしてみんなで話し合って決めなさい。それから海外からも最新の考え方を学んで、その上で、日本の国土に昔からある自然の法則から命令をするからそれを聞いてね、って言っている。

これが他の国なら、第一条に「詔」が来るはずです。為政者は、「何よりもまず、私の言うことを聞け!」と言うはず。でも、日本ではそれよりも「和」が大事。

和を乱すような決め方、例えば権力者の鶴の一声とか、少数派が威圧的にものをいってそれを通すということをよく思わない。そして、できる限りみんなが納得できるような解決方法を探す。

なぜなら、納得しない人が生まれてしまうと、新たな怨霊を生む可能性が残るから。

だから時間はかかるかもしれないし、非効率かもしれないけどみんなで話し合おうね。そしてみんな仲良くしようね。なぜなら、日本国民はみんな家族なんだから。

これこそが日本文明の特徴と言えるし、日本という国の国力の源になっている。

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