岸田首相の大矛盾。民主主義に欠けた安倍元首相国葬決定のプロセス

kk20220929
 

各種世論調査では少なくとも半数以上の有権者が異を唱えていたのにもかかわらず、9月27日に強行された安倍元首相の国葬。国民を分断することになってしまった岸田首相の決断は、どう評価されるべきなのでしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、国会での議論も議決もなく国葬の挙行を決定した岸田首相を厳しく批判。さらに佐藤栄作氏の葬儀を「国民葬」とした日本人の知恵をもっとも簡単な方法で飛び越えた首相に対して、「リーダー失格」の烙印押しています。

プロフィール河合薫かわい・かおる
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

この記事の著者・河合薫さんのメルマガ

初月無料で読む

公明正大であるべきリーダーの決断がなかった安倍氏「国葬」

安倍元首相の「国葬儀」が終わりました。

日経ビジネスのコラムにも書きましたが、もし、岸田首相が「国葬」と早々に決めるのではなく、合同葬や国民葬も含めて、透明性のある検討をしていたら?もし、岸田首相が閣議決定ではなく、国会での議論と議決を経ていたら?こんなにも違和感を抱えることはなかった。

リーダーの決断は、公明正大であるべきなのに、今回の国葬にはそれがありませんでした。

「国葬じゃなく、国葬儀」と、内閣設置法を盾に“国葬”を正当化したり、結論ありきで辻つま合わせをしたりする手法を、この国のリーダーが続けるていることへの憤りが拭えないまま、“国葬”が行われてしまったのは、残念というか絶望といいますか。

「誠実にまされる知恵なし」とは、英国の保守系政治家ベンジャミン・ディズレーリ(1804~81年)の名言ですが、国葬決定は誠実とはかけ離れた決定でした。

佐藤栄作氏が亡くなった時に、内閣・自民党と国民有志の共催で行われた「国民葬」は、「どうやって弔うべきか?」を誠実に考えぬいた日本人の知恵。その知恵の壁を、最も簡単に飛び越えた岸田首相は、リーダー失格だと私は思います。

それは非業の死をとげた安倍氏をしのぶこととは、全く別次元の話です。安倍氏の功績を讃えることとも別。

岸田首相がもっと「国のリーダー」という立場に誠実だったら、筋の通った、道理に合うプロセスをきちんと踏んでいたなら、もっともっと多くの人たちが、非業の死を遂げた安倍さんの死を心から悼むことができたはずです。

たとえ、それが国葬だろうと、合同葬だろうと、国民葬だろうとも、もっと優しい気持ちになれたことでしょう。

岸田首相は、安倍元首相の「国葬儀」の意義として「民主主義」を強調しました。「国として葬儀を執り行うことで、我が国は民主主義を断固として守り抜くことを示していく」と。

この記事の著者・河合薫さんのメルマガ

初月無料で読む

 

print
いま読まれてます

  • 岸田首相の大矛盾。民主主義に欠けた安倍元首相国葬決定のプロセス
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け