「強制は可哀想」の意味不明。小学校の“宿題廃止”が日本という国をダメにする

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9月15日、「宿題は子供の主体的な学びにつながらない」という理由で提出された「小学校の宿題廃止陳情」を議論した香川県の高松市議会。これまでも宿題を巡ってはさまざまな論戦が交わされてきましたが、識者はどう見ているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』ではプリンストン日本語学校高等部の主任を務める米国在住作家の冷泉さんが、小学校の宿題を廃止すべきではない理由を3点挙げ、各々について解説。その上で、高松市議会の議論自体がナンセンスと一刀両断しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年9月26日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

自己肯定感の低さは宿題のせい?小学生の「宿題廃止」は是か非か

香川県の高松市議会で、「子どもの主体的な学びにつながらず、教員の長時間労働の原因にもなる宿題は廃止すべきだ」などという陳情書が出されたそうです。これは、教育関係の若者支援に取り組んでいる人物が出したもので、抽象的な理由だけが根拠の「個人の感想」の範囲と言われてもおかしくありません。

ですが、市議会ではなぜかマジメな議論になったそうで、少々驚かされました。

3点ほど間違っていると思います。

1つ目は、学習には基礎能力が必要だということです。基礎訓練をして、少なくともグローブでの捕球ができたり、ある程度の投球のコントロールが付いていないと硬式野球は危険でできません。バイオリンもトランペットも、最低限の基礎が身についていないと騒音公害なだけです。

料理も基礎ができないと、火事や食中毒を出してしまいます。学習も同じです。最低限の読み書きに必要な漢字の学力、算数の基礎などは、学年に応じて入れていかなくてはなりません。それには訓練の回数が必要です。ですが、限られた学校の授業時間内では足りないので、宿題という家庭学習を課しているのです。

勿論、コンピュータとAIの時代ですから、漢字はIMEが変換してくれ音声入力も使えます。計算も音声で行けるし、複雑な計算も表計算でOKです。ですが、そんな時代だからこそ、計算の意味、漢字の読みや意味は理解していないといけません。そんな中で、基礎もおぼつかないような人材を社会に出すようだと、簡単にコンピュータに操られる存在になってしまいます。

少なくとも小学校は、そのような基礎を身につける場所です。宿題を強制すると可哀想だという意味不明の議論は国や社会を破壊するだけで、教育の失敗による競争力低下はもう十分に貧困や円安という形で国を壊してしまっている中で、これ以上ダメダメにしてどうするんだということです。

2番目は、自主性と自己肯定感というのは別の問題だということです。まず、自己肯定感というのは、周囲の大人による「認知と保護」によって育つものです。「あなたが生まれ育つことは無条件の喜び」「あなたの存在は認め抜く」「あなたの存在を守り抜く」ということで家族や教師や周囲の大人や社会が、個々の子どもに対してブレなく接することが何よりも大切です。宿題を強制したり、強制を外したりというようなことでは、そのような精神の安定と発達には無関係だと思います。

自主性ですが、ハッキリ言って「基礎訓練は退屈」であり、それを自分から進んで取り組むというのは「スーパーにモチベーションが高い」か「大人の言うことをバカみたいに真に受ける受け身のバカ」かのどちらかです。平均的な子どもは、小学生の段階では何らかの強制がなければ基礎訓練には取り組みません。自主性などというのは、進路決定などを絡めたもう少し上の学年で涵養すべきものです。

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