「アラビア語ができて、優雅な女性」サンケイ新聞も絶賛
小池氏が初めてメディアに登場したのは1976年10月22日の「サンケイ新聞」だった。
当時のエジプト大統領夫人が来日したさい、正式な通訳や接待役は別にいたが、小池氏はアテンド役の末席にもぐりこんだ。
同紙は大きな紙面を割いて彼女の紹介記事を書いた。以下はその一部。
夫人に影のごとく付き添ってエスコートするコンパニオンは—アラビア語ができて、優雅な女性で、エジプトをよく知る人。そんなむずかしい条件にピッタリの女性が見つかった。・・・ひとり4年間、エジプトのカイロ大学に学び、日本人女性としては初めて同大学で学士号を獲得、ちょうど10月11日に帰国したばかりだ。
東京新聞もその5日後の紙面に「この9月、日本女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し」と写真入りで小池氏を取り上げた。
天下の朝日新聞が決定づけた、小池百合子「虚飾の人生」
ノンフィクション作家、石井妙子氏の著書「女帝 小池百合子」には、小池氏がエジプトから日本に帰国した後、どのようにしてマスコミ界に居場所をつくっていったかが詳細に記述されている。
大きな役割を果たしたのは朝日新聞だった。
1978年2月1日の同紙夕刊に「小池百合子さんの大統領夫人会見記」と銘打たれた記事が大々的に掲載された。
まだ無名といってよかった小池氏が、ジャーナリストでも中東研究者でもないのに、エジプト大統領夫人に一問一答形式でインタビューした記事である。
ワンピース姿の小池氏が夫人と向き合う写真もつけられている。
小池氏がカメラマン役の兄とともにエジプトの大統領官邸に乗り込み、夫人にインタビューしたのを朝日新聞の旧知の記者に売り込んだようだ。
話の内容は洋服のセンスとか、たわいのないものだったが、天下の朝日が小池氏をあたかも中東専門家のように扱った事実は、その後の小池氏の運命を決定づけた。