亡くなった県民の正確な数さえ分からず放置されてきた沖縄戦
長野智子さん 「慰霊の日を前にした沖縄の様子はいかがですか?」
前泊博盛教授 「こちらは例年になく厳しい情勢です。台湾有事は沖縄有事、沖縄有事は日本有事だという言葉が、この1年ずっと言われて来て、自衛隊の配備がものすごく急速に進み、辺野古の新基地についてもどんどん進んでいる。そういう意味では基地の負担がどんどん増えて来て、まるで沖縄戦の前の旧日本軍の第32軍が配備された時と同じような感じがすると戦争体験者たちが語るような、そんな時代になって来ました」
長野さん 「私も報道を見ていて、台湾有事だとか沖縄有事だとか、有事に備えることは大切ですが、まるで有事ありきでいろんなものが進み過ぎだなというのは本当に感じます」
前泊教授 「そうなんですよね。台湾の人たちに聞くと『何で日本は急に台湾有事と言い出したのか?』と言われたり、中国の政治関係者からも『台湾の総統就任の時に30人もの国会議員が参加したのは日本だけだ。台湾有事の際には日本全体が火ダルマになりますよ』という発言があったりですね、非常にギクシャクした感じがしますね」
長野さん 「そうですか。そこで今、慰霊の日を迎えるということで、沖縄の皆さんは、なるべく平和を願うメッセージを強く出して行きたいという思いなんでしょうか?」
前泊教授 「はいそうですね。ちょうど今、追加刻銘も終わったところですが、沖縄戦で一体何人が犠牲になったかということが、未だに明確にでない部分がありますよね。いわゆる全戦没者が20万人を越したと言ってますけど、沖縄県出身の軍属、これは2万8,228人とかですね、他の都道府県の出身の軍属が6万5,908人。こんな形で兵隊たちの犠牲者数は分かるんですが、一般県民はザッと9万4,000人という、百の位も出て来ないアバウトな数字なんですね。
これは『平和の礎(いしじ)』という戦没者の刻銘がされている碑をご覧になった人は気づくと思いますが、「比嘉さんの子」とか「宮城さんの娘」とかですね、名前すら分からない、一家が全滅してしまって記録がない、戸籍も住民票も戦争でなくなってしまった人が数多くいるんです。沖縄戦が終わって、まずは戸籍を作り直すことから始まったんです。戦争によって本当に多くのものが失われましたが、またもう一度、沖縄戦が来そうな、その新たな戦前が始まっているんじゃないかと、そんな声が聞こえて来るのは残念です」
長野さん 「本当にそうですね。今、前泊さんがおっしゃった刻銘板の追記ということですが、おととい19日ですね、糸満の平和祈念公園で新たに申告があった戦没者、今回181人の方の名前が刻まれた刻銘板が設置されたということですね。でも『ザッと9万4,000人』という一般の方ですか、この碑のことが日本人全体で共有されていないというもどかしさはありますか?」
前泊教授 「ありますね。まあ『9万4,000人』を『9万4,444人』とかですね、最後の1人までしっかりと、犠牲になったのが誰かということを記録することが、この国の政府の義務ではないかと思いますね。国民を大事にしないで、軍人の数は最後の1人まで分かるけれども、国民は犠牲になっても何人か分からない。そんな状況が放置されたまま、78年、79年が過ぎようとしています」
長野さん 「はい」
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