基地建設予算の75%が本土のゼネコンに。「利権の問題なので止められない」元防衛相も認めた“辺野古移設利権”の現実

 

「沖縄戦が終わったのは本当はいつなのか」という問題

前泊教授 「それからもう1つですね、今は6月23日を『慰霊の日』と言ってますけど、何故この日に沖縄戦が終わったとされているのか、それは第32軍の司令官の牛島満(うしじま みつる)中将と参謀長が自害をして果てた日、だから組織的戦闘が終わった日とされていますけども、アメリカの記録では6月21日説もあります。それから牛島家が命日としているのは6月22日です。記録によると1960年代までは沖縄県も6月22日を『慰霊の日』としていたんですよ。どうも調べると22日説が有力で23日は違うんじゃないかと」

鈴木敏夫さん 「(終戦後の沖縄県知事だった)大田昌秀知事もそのようなことをおっしゃってましたよね?」

前泊教授 「はい。これ、アメリカ側の記録でも22日に自害したとされてるんですね。そうすると日本軍の組織的戦闘が終わった日はその日とされるんですが、アメリカの掃討作戦が終了したのは7月2日、それから『終戦記念日』というと8月15日と今はなってますけど、日本が対戦していた連合軍側の『対日戦争勝利の日』は9月2日なんですね。東京湾の戦艦ミズーリの甲板で終戦協定を結んだ9月2日、これが世界的な『終戦記念日』ですが、日本だけ8月15日。沖縄戦で言えば、9月7日に終戦協定が結ばれているんですよ。

そうすると、どの日が本当に沖縄戦が終わった日なのか、14日15日まで特攻隊が沖縄に飛んで来てるんですよね。そうなると、沖縄戦が終わったのは本当はいつなのか、それすらも79年間、放置されて来たような気がします」

鈴木さん 「アメリカ軍が沖縄戦の終了を宣言したのが7月2日ですよね」

前泊教授 「はい、7月2日が『掃討作戦終了日』です。こういう節目の日に、こうしたことにも少し思いを馳せていただければと思います」

鈴木さん 「先生、先ほど大田昌秀知事が『戦争が終わったのは分かっていたが、出て来たのは10月23日だった』とおっしゃったインタビューの音声を放送したんですが、そのように沖縄戦が終わってからも、負けたか勝ったか分からなくて出て来られなかった方もたくさんいらしたわけですよね?」

前泊教授 「そうですね。南米でも移住した沖縄の移民の皆さんが『日本が負けるわけがない』『いや負けたんだ』という、いわゆる『白黒(しろくろ)論争』が続いたという記録もあります。それからルバング島やグアム島では横井さんとか小野田少尉がやっと出て来るということもありましたね。72年頃、ちょうど沖縄復帰の頃です」

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