ゴーンの社長就任で崖っぷち状態へと転がり落ちた日産
今から50年ほど前、あたしが生まれた頃は、日産とトヨタが日本を代表する二大自動車メーカーでした。日産は「銀座に本社がある東京のメーカー」、トヨタは「愛知県のメーカー」というイメージだったため、東京生まれ東京育ちのあたしは、大人になるまで日産派でした。
でも、そのイメージが大きく変わり始めたのが、自動車業界の「ミスター・ビーン」ことカルロス・ゴーン氏が、日産の社長に就任した1999年からです。約2兆円の負債を抱えて破綻寸前だった日産の救世主として、ルノーから送り込まれて来たゴーン氏は、5カ所の工場を閉鎖し、50%の下請けを切り捨て、2万1,000人という大リストラという血も涙もない大改革を強行し、わずか2年で日産をV字回復させたのです。
しかし、その一方で、セドリックやグロリア、サニーなど、日産の代名詞とも言える伝統ある車種が「合理化」の名のもとに消えて行きました。当時、あたしが何よりもショックを受けたのが、スカイラインから、ハコスカ以降の「サーフライン」とケンメリ以降の「丸型テール」が消えたことです。どんなにフロントビューが変わろうとも、この「サーフライン」と「丸型テール」こそがスカイラインであることの証でした。
それなのに、10代目の「R34型」まで続いて来たこの二大アイコンが、いとも簡単に切り捨てられ、11代目の「V35型」は、劣化版メルセデスのような残念な外観になってしまったのです。
ま、これは一例に過ぎませんが、ゴーン氏は開発費用を削減し、他車種との共通部品を多くし、徹底した合理化によるコストダウンで安い車を大量生産し、さらにそれを大幅値引きし、「他社の同クラスの車より数十万円も安い」というコスパのみを「売り」にして販売台数を稼ぎまくったのです。その結果、破綻寸前だった日産はV字回復して生き残ることができましたが、それと引き換えに日産は、ブランド力、商品力を失ってしまったのです。そして日産は「値引きしないと売れないメーカー」になってしまったのです。
こんな話題で「新型コロナ」と書くと、ナニゲにトヨタの車のことかと勘違いされちゃいそうなので念を押しておきますが、感染症のほうの新型コロナが続いていた間は、各メーカーと同じく日産も供給が落ちていたので、必然的に需要のほうが上回っており、魅力のない日産車でも値引きせずに売れていました。しかし、昨年5月、政治的理由によってに新型コロナが明けた(とされた)ことで、各メーカーの供給量が回復し、市場に車が行き届き、消費者は選択できるようになったのです。
そして、ブランド力、商品力、魅力のない日産車は売れなくなり、現在の崖っぷち状態へと転がり落ちたのです。現在の日産は、もはや誰かが救済の手を差し伸べないとヤバイ状態です。
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