「母さん戦争止めてくるわ」と高市自民圧勝。“滅びの美学”と“一国平和主義”が交錯する原理主義国家ニッポン

 

「滅びの美学」が現在も生き残っているという問題

まず政治的正統性についてですが、この分野は実は原理主義とか、国粋主義というのは一番薄い分野になると思います。勿論、過去には東條政権による天皇制度と近代ファシズムを無理に連携する中で、一種の原理主義を人工的に機能させる動きはありました。天皇の神格化どころか本当に神様扱いして、しかもそのために死ねというのですから、これは原理主義そのものでしょう。

ですが、それにしても奇妙な部分があるのです。この昭和10年代の異常性というのは一つの大きな問題を抱えています。それは、敗北主義ということです。日米開戦も無謀なら、ミッドウェイ以降の戦況は見るに耐えない悲惨なものであったわけです。にもかかわらず、自爆攻撃で若者の生命を奪い、制空権を完全喪失しても和平に応じす、最終的には国家と民族の破滅を覚悟するという異常事態に至りました。国家と国民に対する自傷行為に他なりません。

あれは何だったのかということについて、まだまだ定説を打ち立てて正史を遺すという段階には至っていないのです。もしかしたら滅びの美学なのかもしれませんが、仮に美学だとして、玉砕だとか『海ゆかば』などに陶酔するムードがあったというのは認識できるものの、理解は非常に難しいものがあります。

もしかしたら、幕末において西国雄藩が、排外テロから米英追随の近代化へと180度の転換をしたのは、魂の奥底においては屈辱であり、国粋主義を屈折した形で封印しただけ、という考え方もあります。その後遺症として、東條一派の敗北主義があり、敗北の美化があるという説明です。ですが、そこまで深刻なものなのかは議論が分かれるところです。

問題は、この滅びの美学が現在の日本の原理主義として生き残っていることです。例えばいわゆる右派の中には、特攻を美化するとか、特攻隊の崇高性を神格化するというセンチメントが残っています。この問題については、個々の犠牲者には深い哀悼を捧げつつ、作戦全体は全否定するという態度しか取りようがないと思うのですが、そういう言論も原理主義の人たちからは気に入らないようです。

もしかしたら、維新の際の変節がどうこうという以前の問題かもしれません。そもそも、アジアの中で最も西欧文明との確執や協調に翻弄されてきた日本のあり方に、究極の痛みを感じていて、魂の奥底にはアンチ欧米があるみたいな精神主義があるのかもしれません。しかしながら、仮にそうだとしたら、日本的なるものやアジア的なるものに対して、根源的な部分では誇りを持っていないことになります。

欧米的なるものに秘められた劣等意識があるということはそういうことです。ですが、それでも尚、欧米に対する屈辱感、劣等感というのが、無意識的などこかにあって、それが原理主義的な言動に反映しているのかもしれません。ただ、よく考えると、仮にそうであれば、現在のロシアや中国による、西側との対決衝動なども似たようなものですし、別段それは日本の専売特許ではないわけです。

もしかしたら、そうであっても、1945年5月から8月の約3ヶ月間、ヒトラー自決後からポツダム宣言受諾までの期間、世界中の悪者となっていた時間の記憶というのは、日本のどこかを本質的に痛めてしまったのかもしれません。そこが日本の対欧米への対抗心とか、劣等感などを「こじらせ」ているという考え方も可能ではあります。

そう考えると、いわゆる保守派の国粋主義、原理主義というのは左派の絶対反戦とか一国平和主義という、裏返しの原理主義とも呼応すると考えられます。左派の一国平和主義というのは、これも人類史上、稀に見る原理主義であると思います。勿論、第二次大戦における加害も被害も巨大なトラウマとして残っていますから、社会的PTSDとして「あらゆる軍事的なものは見たくない、関わりたくない」というのは、強い心情として分からないでもありません。

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