籾井が会長に就いてすぐにやったのが、理事全員に辞表を提出させたことだった。国会でそれが問題になり、野党議員の求めで副会長と理事全員が出席したときのこと。籾井が「人事のことなのでコメントは控える」とシラを切るのに対し、塚田と吉国は「日付を空欄にして辞表を提出しました」と認め、続いて副会長をのぞく理事全員が塚田、吉国と同じ答弁で、辞表提出を証言した。
このシーンは間違いなく、会長に対する理事たちのささやかな抵抗だった。そうでなければ、会長に答弁を合わせるはずである。籾井が事前に口裏を合わせるよう圧力をかけていたとも聞く。
この一件で塚田、吉国を憎んだのか、その後、籾井は任期中にもかかわらず2人に辞任を迫った。2人が拒否したのは言うまでもない。そこで籾井は2人の専務理事の担当替えによる「イジメ作戦」をはじめた。塚田、吉国は事務方としてNHKを引っ張っていた人材だ。その2人をそろって「ターゲット80プロジェクト」の統括補佐という閑職にまわしたのだ。
籾井人事の異常さはこれだけにとどまらない。2014年4月、放送総局長だった石田研一専務理事は「番組の考査」担当に代えられた。放送分野のトップを事実上、降格させたのである。この人事について、昨年2月まで経営委員を務めていた上村達男早大法学部教授は著書「NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか」で次のように述べている。
NHKの放送の中身に対して「偏向だ」と文句を言っている人たちは、このポジション(放送総局長)の人の首を象徴的な意味ですげ替えたかったのかもしれません。
石田研一専務理事は翌2015年4月、下川雅也、木田幸紀の2人の理事とともに退任した。上村教授は
下川理事もおそらく、籾井会長の思い通りにならなかったので、遠ざけられたのでしょう。…下川雅也理事が辞め、石田研一理事が辞め、木田幸紀理事も退任となりました。きちんとした人たちが櫛の歯が抜けるように消えていく印象です。
と書いている。
経営委員会における下川理事の退任あいさつには、NHKの置かれた危機的状況への怒りと悔しさがにじんでいた。
NHKに対する信頼が残念なことに今、揺らいでしまっています。…自主・自律が公共放送の生命線という認識は、戦前のNHKへの根本的反省から生まれています。…政府が右と言っても左という勇気を持ちませんでした。…それがどれだけ悲惨な結果を招いたことか。…不偏不党という言葉にはそういう歴史的な意味合いが込められています。…私たちはもう一度、この公共放送の原点というべき信念を再確認し、肝に銘ずるべきではないでしょうか。
「政府が右と言っても左という勇気」。籾井会長へのあてこすりには違いない。だが、放送の政治的公平がいかなるものかを、まったく理解しようとしない安倍官邸の面々や籾井会長には、これがいちばん分かりやすい伝え方であろう。