大人が知ったかぶって子供に押し付けようとする教育が、なんと無力で、あてハズレなことが多いのだろうか。両親が、何年間もかけて教育できなかった「感謝」というものを、ワガママっ子が知るのは「寒い仮設住宅に1泊」によってだったのだ。これだけでよかったのである。
ただ、女子中学生にとっては「もう5年なのにこんな寒い生活」というのが重かったという。年月が経つことによって、被災者の大変さを忘れ、話題性として価値を失う、という話題がちまたで言われてる中、中学生にとっては「まる5年も経過してるのに・・」ということが、逆に大きかったのだと。被災地がホットテーマだったころに体験1泊をしたとしても、あまり効果がなかったのかもしれない。
ということは、大人たちの知ったかぶり目線で「年月の経過とともに忘れ去られてゆく」という感覚そのものが実は間違っていて、その言葉が、忘れさせる先入観として作用してしまっているだけかもしれない。
ボランティアで何週間も被災地入りしていた人たちも、
「いつまでも被災地ばかりにかかりっきりになってはいられない」
と、意図的に被災地を忘れようとする。自然に忘れてゆくのではなく、意図的に意識の外に出すのだ。
で、話はワガママJCに戻るが、性格は、ワガママ中学生なので、被災地の人に同情はしても、彼らのためになにかしてあげたい、という発想になどならないところが、偽善者でなくてなかなかよろしい、とカトケンは言ってあげた。そんな優等生的な理想論を持ってしまうと、かえって、具体的になにもできなくなったり、自分が悩みを抱えたりと不幸な方向へいっちゃうかもしれない。それよりも「自分の環境に感謝し、自分の部屋を大切にする」・・・、ワガママ娘のこんな言葉聞いたら、パパどこかで隠れて泣いちゃってるかもね。
善人や優等生は、不幸を感じてしまいやすいが、ワガママっ子は、幸福を感じる能力に秀でているのかな。
著者/加藤健二郎
建設技術者→軍事戦争→バグパイプ奏者、と転身してきてる加藤健二郎の多種多様人脈から飛び出すトーク内容は、発想の転換や新案の役に立てるか。
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