バナナは明治時代後期、日清戦争後、台湾の日本への編入などにより大量に輸入されるようになった。だが、バナナは完全に熟していない青いうちに収穫運ばれ、問屋(室と呼ばれていた)で熟成させて各地に出荷された。しかし輸送中の船内で熟成が進みすぎたり、傷がついたものは商品価値が大きく落ちる。現在ではそのようなバナナは、菓子やジュースなどの加工品として利用することができるが、当時は技術がないため廃棄されていた。
痛む前に門司港につながる桟橋通で売っていたのがバナナの叩き売りの始まりとされている。時代を経て、 物流の発達などによりバナナがごく安価になり、バナナ自体が珍重されなくなってきたため、バナナの叩き売りは廃れていった。
今では大道芸として、お祭りのイベントの一つとして行われることがある。発祥の地、門司などでは「バナナ叩き売り保存会」が設立され、叩き売りの継承に努めていると聞く。