【書評】11歳で天涯孤独に。「マルイ」創業者の波瀾万丈一代記

 

忠治は尾津が子供にせんべい袋を渡したことに感動していた。どんな子供でも、お金がなくお腹が減れば、盗みを働くかもしれない。せんべいを盗もうとしていた男の子も、尾津さんに救われた。ぎりぎりの段階で盗みをしなかったことが、男の子の将来にとってどれほどよい影響を与えることになるか。俺も将来、お金をためて、貧しい子供たちに寄付をしたい

父の事業の破綻は、忠治の運命をも狂わせた。母のうたの実家、加藤家は、娘をこんな男のもとには預けられないと実家に戻した。忠治がわずか一歳の時に、母は出て行ったのだ

ある日いつものように、加藤家に遊びに行った。声をかけようとしたが、うたは手を左右に振って「そばに来るな」と意思表示した。うたは黒地の友禅の打掛を纏っていた。見慣れた母とは全くの別人で、声をかけるのもためらわれた。その日はうたの婚礼の日だった。忠治はちょうど十歳だった。これが母を見た最後だった

「小杉にいても、俺は邪魔者だ。天涯孤独なんだから、いっそのこと、東京で頑張ろう」

震災という災いを転じて福となす。この村上の姿勢を忠治は勉強した。終戦直後いち早く、東京で事業を再開したのは、村上の関東大震災の直後の手法を学んだものだった

忠治は翌朝、先輩に「この店で一番偉い人になるにはどうしたら良いでしょうか」と尋ねた。その先輩は「そうだな、第一に商売がうまくなることが大事だ。それに字も上手で、そろばんもできなければならない」と答えた。それから忠治は心を入れ替えた。早く商売を身につけるため、人を捕まえてはそろばん、習字、簿記など商売の基本を習った

「売りつけるというんじゃいけない。買っていただくのだ。それもだますんじゃない。良い品物をよくご覧いただいて、納得した上で買っていただくんだ。だから商品一つ一つについて、よく勉強してくれ。そしてよく説明するんだ。お客様に、いい買い物したと思っていただかなければならない」

緑屋は最終的には、堤清二率いる西武流通グループの傘下に入った。緑屋という名称は消滅したのだ。経営の多角化に一切興味を示さなかった忠治が、「戦争」に勝利した

「一つは貸しすぎを避けることだ。お客様を不幸にするからだ。そしてもう一つは、あくまで小口に徹することだ。大口は一番危険であり、小口なら回収率は安定する。三番目は、貸せない客に対しては、勇気を持って断ることが重要だ」

「世の中が不況だからといって、自分の店まで不景気にすることはない。不況でお客様が来ない、売れないということなら、どうすればよいかを考えるまでのこと、一生懸命に真剣に考えれば必ず打開策がでてくるものです」

景気は自らつくるもの」という忠治のメッセージは、現在に生きるわれわれにも、希望と勇気を与えてくれます。

ビジネスパーソンはもちろんのこと、ひとかどの人物になろうとする若者にも、ぜひおすすめしたい一冊です。

image by:Wikipedia

 

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著者はAmazon.co.jp立ち上げに参画した元バイヤー。現在でも、多数のメディアで連載を抱える土井英司が、旬のビジネス書の儲かる「読みどころ」をピンポイント紹介する無料メルマガ。毎日発行。
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