コストコはなぜ激安が実現できるのか? 知られざる原価率の舞台裏

 

コストコにも苦難の歴史~日本進出を阻んだ大きな壁

コストコ浜松倉庫店のオープン前日、関係者を招いての店舗のお披露目が行われていた。そこには商品を卸している400社を超えるメーカーの人間の姿もあった。

「全国チェーンに匹敵するような販売量を扱っていただいているので、コストコさんと組むメリットを非常に感じております」(「中村屋」業務用食品部・水野豊司さん)

「2倍、3倍に売上が増えました。感謝しています」(長野県の味噌メーカー「ひかり味噌」営業本部・五味正浩さん)

今や日本のメーカーから絶大な信頼を集めるコストコだが日本進出当時の事情は全く違ったと言う。福岡県久山町にある久山倉庫店。1999年にオープンした日本1号店だ。コストコが日本に進出する際、テリオは現場責任者だった。

「チャレンジでした。日本では誰もコストコを知らなかったからね」

日本進出を画策していた1998年、コストコは既に売上2兆円を超えるグローバル企業で、世界を席巻していた。しかし日本でコストコ流を実践するには大きな壁があった。

「日本の1号店は、東京に作りたいと考えていました。しかし、メーカーが直接取引を嫌がりコストコ流の低価格が実現できなかったんです」(テリオ)

日本進出前に、メーカーに対してコストコのやり方である仲卸を飛ばした直接仕入れを申し入れると、「他の取引先の手前、特別扱いする訳にはいかない」「長年付き合ってきた仲卸との関係もあるから」と、メーカーは揃って難色を示した

結局、コストコは東京を断念。そんな時、福岡で出店できることになり、地方ならメーカーが「直接仕入れ」に応じると考えたのだが、交渉は難航した。当時、打診を受けた菓子メーカー、「カルビー」新規事業企画部の吉岡健太郎さんはこう証言する。

「直接取引するには、例えば新商品、物流の仕組み、専用の設備などが必要で、これだけでもかなりハードルが高いんです。直接取引の必然性はあまり考えにくかったですね」

しかし、メーカーとの直接取引はコストコ流「高品質・低価格」を実現する要の戦術。コストコのバイヤーは粘り強い交渉を重ねた。すると、意外なきっかけから潮目が変わる。それはコストコサイズと呼ばれる、これまでになかったビッグな商品だった。

「本当にこういう商品が売れたら新しい展開になる。気付いていないニーズを売り方や売り場を変えたら発掘できるんじゃないかと思いました」(吉岡さん)

そんな水面下の交渉を経て1999年、1号店をオープン。コストコは自分のやり方を貫くことにこだわり、オープン時には商品の7割をメーカーから直接、仕入れた。

「我々にとってもメーカーにとっても大きなチャレンジでしたが、乗り越えることができたんです」(テリオ)

「郷に入っても郷に従わない」。コストコの世界進出はひたすら頑固だった。

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