さてここからです。このように“原則”を述べると、すばらしい論理展開をする高学歴の幾人かの人から次のような声が聞こえてきそうです。「原則は分かったから、そうしたら何をどのようにしたらいいのだ」と。
ここでお伝えしたいのは「それが何か、どのようにしたよいか」は、もうお判りいただいていると思うのですが「それを悩んで自分で閃いて、不安と恐怖感に打ちのめされても、それでもやり遂げる」。そうでなければ「テープレコーダー」「チキンラーメン」は世に出なかったと言えます。
ここで少し付け加えます。「そうしたら、そのようにすればすべてうまく行くのか」ということですが、あのスティーブ・ジョブズでも、思い込んでやった事業でこけてアップルを追い出され、黒澤明でさえも最初のカラー作品は不評で終わりました。すべてが上手くいくわけでもないのですが、進まなければ知識は得られず、知恵は深まらず、新たな「機会」は開かれません。
どんな立派な「戦略計画」であっても、それは実行しなければただの思い込みでしかありません。難しいのは「失敗する勇気」がなければ物事は始まらず「失敗」を経験し、そこから多くを学ばなければ、他に勝れる諸々の「強み」を形成することはできないと言えます。
経営(マネジメント)は“論理”だけで処せるような代物ではなく、それが“成果”を実現させるのは、多くの矛盾を包摂している「苦労」を伴う“原理”活動を強烈な意思を持って行い続けるときのみです。矛盾を伴う知恵の領域の活動なので、例え倒産であっても大病をした人でも、そのことを思い知った人が学んで身につけられるものなのです。
image by: Shutterstock.com