女子水泳と男子体操の工夫のない報道が、東京五輪を盛り下げる

 

一つの例は、水泳の池江璃花子選手に関する報道です。池江選手は、何十年に一人という逸材であり、もしかすると100のバタでは金が取れるかもしれませんし、200のフリーなどでメダルに絡む可能性もあります。バタとフリーというのは、平とかバックと比べると体格が大きな要素となるわけで、そこでこれだけの戦闘力を持った選手の出現というのは大変なことだと思います。

では、メダルは取れるのかというと、実は現時点での彼女のタイムでは十分ではないのです。18歳を過ぎて身長や手足の長さの成長は止まった彼女ですが、まだまだ泳ぎは発展途上であり、十分にチャンスはあるとは思いますが、現時点ではトップレベルまであと一歩のところです。

ところが、池江選手に関する報道というのは妙なことになっています。何かにつけて「日本新を更新」とか「日本新で優勝」という派手なタイトルで報じられ、まるで物凄いことをやっているような感じで報じられています。もちろん、それ時代は凄いことなのですが、2020を意識するとなると、もっと違う期待感があって良いように思うのです。

正確に言うと、選手本人には酷なのですが、池江選手は「もっともっと日本新を更新する」必要があるのです。と言うのは現在の世界新あるいは五輪新の記録には日本の水泳界は届いていないし、そんな中で彼女が持っている日本新記録を更新して、世界水準に追いつくためには、どんどんタイムを向上させなくてはならないのです。

そして、そのタイム向上が間に合えば2020年に勝てるし、間に合わなけらばダメという厳しい戦いをこの選手はずっとしているわけです。「日本新」を画期的だと言う派手な報じ方からは、その池江選手の本当の戦いは見えて来ないし、それでは、彼女を本当に応援していることにはならないのではないでしょうか?

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