成熟の拒否。なぜ「ちびまる子ちゃん」は幅広い世代に受けたのか

 

2つ目としては、1番目とは矛盾するようですが、この小宇宙には明らかな「新しさ」がありました。その1つは、価値の相対化です。衰えの始まった祖父は、尊敬だけでなく9歳の子から見ても保護の対象です。父親には威厳のかけらもなく、ナレーターからはヒロシと呼び捨てにされます。クラスメイトの中では、クソ真面目な少年や、大金持ちの国際派などは「見上げる存在」ではなく、「ヨコの関係」としての一種の逸脱として認知されつつ許容されています。

そこには昭和の時代とは一線を画した「価値の相対化」がありました。これに加えて、「弱さの許容」という考え方も入っていたように思います。昭和の時代のように「弱さ」は是正されるべきものというのではなく、「弱さ」も1つの個性であり人格だということで、尊敬がされる、そのような新時代の価値観が、この小宇宙の中にはハッキリと埋め込まれていたのです。

3つ目は、その一方で、この小宇宙はどこかに崩壊の予兆が感じられたのです。愛すべき祖父は、やがて本当に衰えてしまうだろうし、主人公たちの「前思春期」というモラトリアム期間もやがて、終わってしまうのでしょう。そのような世界が終わっていく予兆のようなものが、この小宇宙にはあり、そのことが余計に本作を美しくしていたように思います。

作者の夭折というのは、明らかな悲劇であり、これからは、この「ちびまる子」という小宇宙に接する人の多くは、決して長くは生きられなかった天才の生涯に想いを馳せると同時に、この結晶したかのように見える小宇宙が、やがては崩れて行く「はかないものだという印象から、恐らくは逃れ得ないのではないかと思います。

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