環境汚染を問題視する前に、「人間の心の汚染」をどうにかするべきだ
ところが、この問題はかなりの利権になるために、東京都や朝日新聞など利権に敏感に反応するところが騒いでいます。まったくお話にならない論理ですが、「東京や日本にはプラスチックが散乱しているところはないが、中国や世界の特定の場所にはプラスチックをそのまま捨てる人がいるので、全く関係はないが、東京や日本で規制を厳しくしたり、使う量を減らさなければならない」といっています。
日本は犯罪が少ないのに、世界のどこかで犯罪が多いからと言って、日本の規制を強化しようというのと同じで、まったく見当はずれです。でも、やや「科学的なこと」が入っているので、巧みに言葉を操れば人をだませるというのが、プラスチックストローの問題なのです。
もう一つ、ヨーロッパ人やアメリカ人の中には「目的を達成するためには何をやってもよい」という固い信念を持っている人がいて、たとえば湾岸戦争の時に、戦争をしたい人たちが、海鳥に原油をかけて、真っ黒になった鳥の写真を配信し、世界を戦争の方に誘導したことがありましたし、日本でもサンゴを守るという目的で、カメラマンが海に潜り、ナイフでサンゴ礁を切り取って撮影し、それを新聞の一面に載せたこともありました。
人間というのは不思議なもので、そんな馬鹿らしいことをして自分の主張を通しても後味が悪いと思うのですが、それが現実なのです。
日本人がまじめで信じやすい性質を持っているのはよいことなのですが、もうそろそろ、世界というのはかなり汚れている(人間の心の方が、自然よりはるかに汚れている)のに気が付かなければならないと思います。
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