医系技官が発したのは、医師法や薬事法の問題ではなく、「内閣官房、防衛省、自衛隊が反対しているので実現できない」という驚くべき言葉でした。
腑に落ちないので、私はさらに突っ込みました。「内閣官房、防衛省、自衛隊が反対しているとは初耳だ。誰が反対したのか言って欲しい」。ついに医系技官は白状しました。「内閣官房、防衛省、自衛隊が反対するのではないかと思っていました」
なんのことはない。勝手な思い込みだったのです。こうなると、問題を解決するにはトップダウンしかありません。私は旧知の塩崎恭久厚労大臣に顛末を報告しました。すぐに担当局長から電話があり、検討したいとのことでした。
しかし、そうこうしているうちに、なんの動きもないままに時は過ぎていきました。私は加藤勝信大臣が就任すると、再び問題の解決を依頼しました。加藤さんは「やらせます」と言って太鼓判を押してくれました。加藤さんはすぐに担当部署に指示してくれました。それでも、1年経っても動きがありません。仕方なく、旧知の大口副大臣に連絡をして2月12日の4者会談となった訳です。
細かいことは省きますが、話を進めるうちにキーパーソンである2人の課長の使命感に火が付いたようで、5月の段階で記者発表が行われ、審議会を経て今回の動きとなったのです。
私は、「オレがやった」などと言うつもりはありません。しかし、私が当時の野中広務官房長官に掛け合ってドクターヘリを実現したときと同じ構造が今回の化学テロ対策にもあったということは、申し上げておかなければなりません。
ドクターヘリの時は、医学部の教授などの専門家を中心に4回も国の委員会が設けられましたが、関係する6つの省庁などの反対の前に粉砕され、日本は西ドイツが始めてから28年間も後れをとってしまったのです。その間、ドクターヘリがあれば助かったであろう貴重な生命は十万人の単位だったと推定されます。
それが、野中官房長官の一声で実現してしまったのです。野中さんの下で、森山幹夫さんという内閣審議官(医系技官)が使命感に燃えて奔走しました。
それにもかかわらず、救急救命の関係者は「生みの親」ともいうべき野中官房長官のことには触れようともせず、あたかも自分たちだけで実現したかのように振る舞っていますし、なぜ野中官房長官が乗り出すまで実現しなかったのかの総括もないままです。
今回の化学テロ対策についても同様です。懸案が前進したことを喜ぶのはよいのですが、そして、それぞれの専門家の知見には敬意を表しますが、私は問いたい。
あなた方は、いままで実現しなかった問題をどのように総括するのか。そこまでいかないと、専門家として中途半端だと言わざるをえない!塩崎さん、加藤さん、大口さん、浅沼課長、山本課長に足を向けられるのか!
またまた、嫌がられそうです(笑)。(小川和久)
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