「子供たちは、心の安全基地としては教師を選択しない」。そんな、ある意味衝撃的とも言える論文の内容を紹介しているのは、現役小学校教師の松尾英明さん。松尾さんは今回、自身の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、子供たちが誰を「心の安全基地」の対象としているのかを記すとともに、教室で求められる「教師の役割」を考察しています。
教師は子どもの心の安全基地になり得ない
最近の読んだ心理学の論文からの学び。課題で読んだ論文なのだが、これが非常にためになった。次の論文である。
「児童期中・後期におけるアタッチメント・ネットワークを構成する成員の検討―児童用アタッチメント機能尺度を作成して―」
村上達也 櫻井茂男 教育心理学研究、2014,62,24-37
ちなみにアタッチメントというのは、愛着行動のことである。「恐れや不安の情動がある時に、安全を回復・維持しようとする傾向性」を指す。つまり、危ない時の「避難場所」であり、次へ挑戦する準備のための「安全基地」の役割である。
その第一対象だが、乳幼児期から低学年ぐらいまでは当然「母親」である。もうここ以外存在しないに等しい。
しかしこれが、小4から小6にかけて、友達が第一対象に移っていく。母親は順調に順位を下げて、3番手以降になる。つまり、親ではなく、友達を自分の「避難場所」「安全基地」にしたいと思うようになる。これが、自立に向けた健全で自然な発達の姿である。
さて、この論文を読むとはっきりとわかるのが、子どもにとっての教師の存在である。教師自身は、子どもにとってこの「避難場所」「安全基地」として、どのあたりに位置するのか。
何と、4番手以内にすら入らない(ちなみに他の研究によると、小学校高学年の子どものアタッチメント対象の人数は平均4人程度までである)。アタッチメント対象として教師を選ぶ子どもは、どの年齢においても、ほぼ「0」である。
教師こそが教室の安全・安心を確保する立場だというのに、これはどういうことなのか。
つまり教師の中心的な仕事は、「集団における安全と安心の仕組みづくり」の方なのである。どちらかというと、ある種システムエンジニアリング的であり、環境づくりの仕事の方である。
一方の個人的なアタッチメント対象はあくまで親、友人。職場に例えるなら、社長はリーダーとして集団の方針を示してまとめるのが仕事である。一般的な関係として、上司の立場は、母親でも友人でもない(映画『釣りバカ日誌』のような社長と部下との対等な友人関係も、ないことはないが、例外的である)。
教室で求められる教師の役割は、心の治療役というより、問題解決のための具体的かつ実質的な施策をうつ解決者の役割である。
本音で単なる愚痴や甘えが出せるのは、低学年までは母親、高学年以降は友人である。大人に例えるなら、集団のリーダーである社長に、仕事の愚痴は言えない(「評価者」としての側面をもつのであれば、尚更である)。そういうものである。
「子どもの心に寄り添う」ということは、何よりとても大切である。しかしそれは、どちらかというと教師の側がもつべき姿勢であり、子どもが教師に寄り添うわけでは決してないということである。
教師に求められる役割は、癒し役ではなく、安全・安心の仕組みづくり。子どもの苦しみやニーズを読み取り、具体的な策を次々とうつこと。「いい人」だけではやっていけないというのは、この辺りからもいえそうである。
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