2.土地に根ざした仕事と生活
昔の日本人は、もっとゆったりと生きていたに違いない。といって、暇だったわけではない。農作業以外に、畦や用水の管理、建物の修理、干し柿や漬け物作り、機織りなど、仕事はいくらでもあった。加えて、道路整備など公共事業的仕事もあっただろう。更に、様々な行事、神事、祭り、冠婚葬祭などもある。
会社の仕事は分業だ。仕事の全貌が見えず、自分の仕事の意味を理解するのも難しい。
農民の仕事は分業ではない。無から有を生み出すものだ。種を蒔くところから収穫まで、仕事全体が完結している。分業どころか、自然の一部として、自然に生かされているのではないか。
また、個人や家族で行う日常的なケの仕事だけでなく、村を上げて行う祭礼などのハレの行事が生活のリズムを刻み、正月と盆にゆっくりと休む。その土地に根ざした生活の実感である。
3.製造業は時間をかけて成熟する
一般のビジネスは時間との戦いだ。もちろん、製造業も納期との戦いはある。しかし、技術を磨くには時間と経験が必要である。日本の伝統工芸の職人仕事が素晴らしいのは、何世代にも渡って、技術を磨き続けたその蓄積にある。
企業買収によってその技術を買うことはできても、技術者を育成し、技術を発展させ、技術を継承することはできない。やはり時間をかける必要があるのだ。
現在のような「お金中心のビジネス」を続ければ、素晴らしい日本の伝統工芸も採算が取れなくなるだろう。
これを守るには、ゆっくりと生きる生活者が存在し、ゆっくりと作れる環境が必要だ。もしかすると、多くの伝統工芸はアートとして生き残るのかもしれない。
アートの世界なら、ゆっくりと作ることができる。そして、アート作品を購入する人もコストパフォーマンスで選ぶことはでいだろう。そもそも大量生産商品と、職人仕事で作る商品が同じ基準で比較されることがおかしいのだ。
アートとして生き残るには、社会全体がアートを楽しむ余裕を持たなければならない。時間に追われた生活ではなく、ゆったりと人生を楽しむこと。仕事中心、会社中心の生活ではなく、スローな生活を取り戻すことを目指すべきではないか。