計算を超えた共感や信頼の必要性
アラジン・トースターは、千石がグラファイト管という技術のポテンシャルに執着し続けたことから生まれている。そもそもグラファイト管は、開発した大手企業が、市場性がないと見放した技術である。そしてOEMで供給することを提案した大手企業からは、事業としての見込みはないと断られてしまう。
しかし、それでも千石はあきらめなかった。千石は保有していたアラジン・ブランドを活用し、デザインに工夫をこらし、プレスリリースに力をいれるとともに、当初は販路を価格で選ばれることの少ないルートに絞るなどの取り組みを重ねて、販売を伸ばしていく。
このように優れた技術の可能性を引き出し、市場を生み出すためには、ひとつ一つの課題を克服していく継続的な努力の投入が欠かせない。しかしそこで必要となるコミットメントに、ビジョンは存外無力であることを、バージニア大学教授のS・サラスバシーが、エフェクチュエーションという起業家的行動の論理を論じるなかで指摘している。
ビジョンとは、これからつくり出していく未来についての見通しである。しかし、以上で見てきたアラジン・トースターのような、新規事業開発の初期の時点では、未来における需要のあり方はそもそも明確ではなく、競争への勝算が立ちにくいことだけがはっきりしている。仮にビジョンのようなものがあったとしても、それは頼りないものとならざるをえない。
そこで新規事業開発に必要とされているのは、このような不確実性のなかで、未来に向けた行動に参加し、プロジェクトを進めていくことへのコミットメントである。すなわち、枯れ木に花を咲かせるのは、計算を超えた共感や信頼なのである。イノベーションを渇望する企業に、アラジン・トースターの事例が問いかけているのは、ビジョンや展望が弱さを嘆くのではなく、それでも未来に挑もうとする気合いや気力が組織に充実しているかという問いである。
image by: Shutterstock.com