■タスク管理の呪い
もしこうした状況に名前をつけるとしたら「タスク管理の呪い」と呼べるでしょう。管理欲求に突き動かされて行動すればするほど、その後の自分を「管理された状態」に置くことになります。人をのろわば穴二つではありませんが、自分で自分を苦しめているのです。
もしそうした苦しみを解消するために「もっと管理をしなければ」と求めたらどうなるでしょうか。もちろん、より自分の首を絞めるわけです。ここでは切実にアンビバレントな解決策が求められます。タスク管理によって生じる苦しさは、まず最初の「管理しなければ」という気持ちを低減させることでしか解消できないのです。
もちろん、管理されたくて仕方がないという人であれば自己管理は最高の娯楽となるでしょう。管理することそれ自身が目的となる、つまり「遊び」として行われる自己管理です。そうした管理はある種本末転倒ではあるのですが、実行者を苦しめることはありません。
一方で、対象を自分の意のままにしたいという気持ちで行われる自己管理は、自分で自分を苦しめるという結果を引き寄せます。ある時点Xの自分が、それ移行の時点Yの自分を拘束してしまうのです。
『Re:vision』という本で示したのは、そうした拘束からの脱却でした。ある時点で何かを決めることはする。でも、それを絶対的で固定的なものとして受け取らず、その時点の自分によって書き換えても構わないものとすること。そのような姿勢は「首尾一貫」や「初志貫徹」が尊ばれる文化では眉をひそめられるかもしれませんが、そんなことは気にしても仕方がありません。望まない苦しみにわざわざ飛び込むことを肯定するよりははるかにマシなことです。
もちろん、管理的な行為がまったく不要だというような自己管理アナーキズムを肯定しているのではありません。予定やタスクを管理することは大切です。でもその対象はあくまで情報に留めるのであって、人そのものまでに手を伸ばしてよいものではないでしょう。
別の言い方をすれば、「タスク管理」とはあくまで「タスク」を管理するのであってそれ以外は管轄外とする、というぐるっと一周回って自宅に帰ってきたようなスタンスがおそらくは好ましいのでしょう。
ともあれ、対象が自分であっても他人であっても、行きすぎた管理は弊害を多くもたらします。他人であれば抗議の声が上がってきて気がつける可能性があるのに対して、対象が自分の場合はそうした弊害に気がつかないまま長い間過ごしてしまう可能性があります。だからこそ重々気をつけたいところです。
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