「永遠の命」を描き切ろうとした手塚治虫『ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』に見る“迷い”と“苦悩”の欠片

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今も「漫画の神様」 と呼ばれて愛され続けている漫画家・手塚治虫が1973年から78年にかけて『週刊少年チャンピオン』で連載した名作『ブラック・ジャック』。孤高の天才医師を主人公に読み切り連作のスタイルで連載された本作ですが、単行本化の際に手塚自身の手によって再構成や加筆が施された作品が数多く存在しています。特に大きな改変が見られるエピソードを中心に、オリジナル版と単行本版を比較して読めるような形で掲載した『ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』(立東舎)が、去る11月20日に刊行されました。発売日に三刷が決定するほど大きな話題をよんでいる本書ですが、連載開始当時に人気低迷の時期だったという手塚は、本作品で何を描こうとしていたのでしょうか。漫画原作者で、元漫画編集者の本多八十二さんが「永遠の命」を軸に考察します。

手塚治虫が描き切った、永遠の命

若い医学生たちの苦悩と青春を描いた大森一樹監督の初期作品『ヒポクラテスたち』(1980)に、手塚治虫が小児科教授として短い時間だが出演している。なんていうか、いろいろあったろうに、一周まわって総てを呑み込んだ存在、というような貫禄で、白衣をまとって微笑をたたえていた。大森監督はもともと漫画少年で、手塚作品にも強い影響を受けたとの由。大森監督も手塚治虫と同じく関西の生まれ育ちで医学部卒とあって、その共通項とあこがれから出演を打診したのかもしれない。そんな手塚治虫が描いた医療漫画の決定版とは、と、いうような導入で、手塚治虫の新刊のご紹介。

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ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』(立東舎刊) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『魔法屋敷』『ミッドナイト』等、手塚治虫の往年の名作に、埋もれていた単行本未発表形態を発掘し見比べるという新たな視点を提供し続けている立東舎の手塚治虫復刻シリーズに、いよいよ満を持して加えられた『ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』が、11月20日の発売日を待たずして重版、三刷が決定するほどの話題をよんでいる。

手塚治虫の代表作のひとつである『ブラック・ジャック』は、孤高の天才医師を主人公として、読み切り連作のスタイルで1973年から78年まで秋田書店「週刊少年チャンピオン」に連載された。この作品を描き始める前後の手塚は、自身のプロダクションの経営難や少年誌での人気低迷などで苦境に立たされ、当時のチャンピオンの名物編集長が「手塚の死に水をとる」という意気込みで執筆を依頼した、いわば作家としての土壇場の花道のような存在であったということは、これまでも多くの検証本で述べられている。

手塚治虫自身が大阪帝国大学附属医学専門部卒であり、『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』を執筆しながら医師国家試験に合格したとのことだが、2008年に秋田文庫でまとめられた『手塚治虫医療短編集』でみられるような、それまで掌編で散発的に露見していた手塚の医学の知見が、ほぼ初めて長編連載として連続して全面的に活かされていることからも、『ブラック・ジャック』が手塚自身のアイデンティティと深いかかわりをもった作品であることがうかがいしれる。

天才医師が主人公、と冒頭に書いたが、『ブラック・ジャック』はどんな病気や怪我でも治してしまう非凡な医師の活躍を描いた万能医学絶対礼賛漫画ではない、のだろう。ブラック・ジャックは他のどんな医師にも劣らない医療技術をもちながら、全編を通して、人命を救うことの是非を悩み続けている。むしろ、どれだけ医学が発展進化し医療が高度化しても救えない命はあり、そもそもすべての病を人間から遠ざけた結果、その向こうには何があるか、それは果たして人類の幸福といえるものなのかを問うた、手塚治虫本人の答えのない迷いや悩みが昇華した漫画のように思える。

今回この記事を書くにあたり『ブラック・ジャック』のウィキペディア項を参照した際、初めて彼の本名が間黒男(はざまくろお)であるということを知ったくらい拙稿筆者は本作品について門外漢なので、そのような講釈を述べることははなはだ恐縮なのだが、病と無縁な肉体や、無限の寿命なんてものはないのですよ、仮にあったとしてもそれは幸せではないのではないですか、という手塚のメッセージが、『ブラック・ジャック』の各回で繰り返し描かれているような気がしてならない。

生きることそのものの憂いのようなもの、それはもしかしたら我々が背負った原罪なのかもしれないが、それと表裏一体となる生命に対する讃頌が、もしかしたら手塚漫画の一貫したテーマだったのではないか。それは『火の鳥』や『鉄腕アトム』のような象徴的な“永遠の命”を扱った作品との対比でも考察できるだろうし、多くの話者が手塚作品を通じて語ってきた題目で、手垢のついた切り口なのだろう。もしかしたら、昨今SNS上で言われている世代間の対立や高齢者サブスク医療の是非、健康寿命とは何か、遠くで起きている紛争と卑近な日常の小さな幸せとの矛盾なども、こうした手塚の作品群に予見されていたものなのかもしれない。

ただ、そういう絶対的な幸福が得られない不幸、という哲学的命題を背負っているこの作品が、先述のように手塚の窮地から出発したものであり、これまでの手塚キャラをスター・システムとして次々と登場させてブラック・ジャックという名医に治療させよう、というオールスター出演の賑やかな構想から始まったというのが興味深い。深遠なテーマは露骨に狙って即座に表出するような安直なものではなく、ずっと作者の創作マグマの奥底に流れていたものが機会を得て初めて華開くものなのだなと心底感じる。

他方、いくら医学博士とはいえその源流となる知識は手塚が医学生だったころのものが土台となっており、その後の臨床経験は豊かとはいえないわけだから、常に進歩していく医療現場の実際とは異なる描写もあったことだろう。加えて、医療が人体から病や苦痛、老いまでも取り除き、ずっとずっと生きながらえることが善いことなのかという難しい題材は、細かな描写ひとつ違えば全く別のオチや読後感に至ることにも繋がりかねない。そういった薄皮一枚の世界である表現の選択肢、また発表・刊行時の時勢や情勢の変化なども相まって、他の手塚作品以上に、『ブラック・ジャック』には数々の改稿やバージョン違い、単行本収録を見送られてきた回などが存在する。

これまでも機会ごとに各先人の手でその異同の研究がなされてきたが、今回手塚プロダクション資料室の大きな協力のもと、現時点での考証の集大成として『ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』が編まれた。本書の編者であるアンソロジスト・濱田髙志がどういういきさつと意気込みで手塚作品の復刻に携わっているかは、手塚治虫オフィシャルサイト内のコラムページ「虫ん坊」に収録されている山崎潤子によるインタビュー「私と手塚治虫 濱田髙志編 全4回」に詳しいので、ご興味のある方は参照されたい。

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