社会や政治などを風刺・批判・あざける詩歌「落首(らくしゅ)」。平安時代にはあったと言われる市井の人々による表現方法には、誹謗中傷とは違う知性と洒落っ気と鋭さがあります。こうした落首の類を好きだと語るのは、辛口評論家として知られる佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、昨年12月に開催された労働者による文化イベント「レイバーフェスタ2023」が公募した川柳から入選候補の7句を紹介。さらには、大学闘争時代の「落書き」もいくつか並べ、現代に残る「落首の精神」として伝えています。
落首の精神
働く者が主役の文化イベント「レイバーフェスタ2023」が12月16日に芝の「港区産業振興センター大ホール」で開かれた。
私も公募川柳に講評を述べるために出かけたが、ミャンマー民主化運動の人たちの歌で迎えられた。事務局で絞ってくれた46句から私は次の7句を選んで少し話した。
暑かった!でもふところは寒かった…
あふれ出す核のゴミ屋敷日本国
キックバック 派閥競って 闇バイト
消費税廃止メガネは無いですか
人道的にやれと黙認ジェノサイド
戦争を 始める人を 戦場に
もうすでに戦後民主の底が抜け
俳句は俳号と言うが、川柳のペンネームめいた柳号も面白い。駒太絞太は、つまり、困ったもんだで、笑い茸はキノコから採っている。
特選は「暑かった」と「人道的にやれと」だった。私は『反戦川柳人鶴彬の獄死』(集英社新書)の著者として招かれ、あくまでもゲストである。しかし特選の句をはずさなくて面目をほどこした。
落首は昔から好きだったが、手もとに華房良輔著の『らくがき闘争』(青春出版社)がある。山藤章二の装幀で表紙のイラストもシャープである。1970年春の刊で、大学闘争を扱ったものが多い。華房はその前にトイレの落書きを収集した『のぞくべからず』を出している。
痛烈なのは次の逸話である。京大の時計塔の封鎖が機動隊によって排除された時、学生が組んだバリケードの中から「仰げば尊し」の歌が流れてきた。
ヘリコプターの騒音と、催涙弾を射つ音、そして放水の音が響く中でそれはマイクを通して、ゆっくりと歌われたという。替え歌ではなく、元唄でである。
仰げば尊しわが師の恩
教えの庭にもはや幾歳
思えばいととしこの年月
いまこそ別れめいざさらば
華房は「機動隊幹部と並んで立つ学長や教官たちは、どんな気持ちで、この歌を聞いていたのであろうか」と書いている。
「トイレの中の闘争」と題した章もいい。
同志社大学のそれに
「神聖なる排泄場に 卑ワイなる政治をもちこむな!」
愛知学院大の落書きもケッサクだ。
「我々はこれでいいのか
昨年の10・26の斗争を省みて
今 何をなすべきなのか」
これに対して別の落書き。
「今はだまってクソをせよ」
早稲田のそれはかなりリクツっぽい。
「ワセダ(別名バカダ)大学とは
使い古しの子宮にすぎない。
その胎内に宿る事を自ら約すものは、
永遠の逆児となってコカコーラの海へ沈潜して行く」
「彼女の私物化反対」などというのもあるが、いまの学生はどんなことを考えているのだろうか?
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