被災地の「孤立集落」をめぐる致命的な誤解とは?
では、具体的には何が伝わっていないのでしょうか?今回は3点に絞ってお話したいと思います。
まず、孤立集落の場所です。ここへ来て孤立集落の問題が、温暖な大都市圏で話題になっているようです。
例えば、名コンビと言える立憲の米山隆一衆議院議員が「今こそ、限界集落の移転と集約の議論を開始するとき」と訴えると、西村博之氏が「遺体の捜索が続く今する議論ではない。寄付金減少の副作用も懸念される。一ヶ月後でいいのではないか」と応酬したのは有名です。
ただ、この議論ですが、一般的にイメージされているのは「山奥のポツン」ということで、谷筋にある集落が過疎化して数軒だけが残っているケースだと思います。その谷筋の一本道が土砂崩れなどで通行止めになって、その数軒が孤立している、そのため食糧などの確保は自衛隊が「徒歩」で行っている、そんなイメージです。
それならば、「地元に残りたい」と言っている高齢者の「ワガママ」をいつまでも許す訳にはいかないし、そもそも数軒の集落のために何億円もかけて谷筋の道を修理するのは無理。従って、今回の被災を契機に離村してもらいたい、そんな議論です。
この話題に併せて、「ポツンで頑張っていた高齢者も、流石に超高齢になって健康が不安になったら里に下りてもらおう」というような全国レベルの一般論も出ています。
ですが、そこには少し誤解があるようです。確かに、能登には無数の谷筋があり、そこに小規模集落があって過疎高齢化しており、その集落が被災したのは事実です。そうしたケースは恐らく数十から百近く、あるいはそれ以上あるでしょう。
ただ、こうした谷筋のポツンについては、相当数が避難を完了しており、余程の理由がない限り地元に固執している住民は少ないようです。よく考えてみれば、細い谷筋の道が土砂崩れや地割れで普通となり、そこを自衛隊員が徒歩で頻繁に食糧補給に通うというようなスキームは成立しないからです。
具体的には二次災害の危険が非常に高い中では、住民を救出するという選択の一択になるからです。
では、現在、つまり被災から2週間強を経た現在でも「孤立」が問題になっているのはどんなところかというと、実は半島北部の日本海にダイレクトに面した海岸線の中規模集落です。例示しますと、
- 珠洲市大谷町
- 珠洲市折戸町
- 珠洲市馬蝶町
- 輪島市西保地区
といった地区で、いずれも100名前後の住民が孤立しています。共通点は、北の日本海岸であること、海岸沿いの半島周回路が甚大な被害を受けて不通となっていること、海岸線は異常な隆起現象で破壊されて海上からのアプローチも難しいということです。
ですから、今日現在でも数百単位の「脱出待機」があるという過酷な状況です。そんな状況で「移住を決断せよ」というのがタイミング的に妥当かどうかは別として、では、こうした地域の今後を考える場合には、議論はそれほど複雑ではないように思われます。
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