塩谷をスケープゴートにして生き残った萩生田
安倍元首相が亡くなった後、安倍派は後継会長が決まるまでの暫定措置として、派閥の最古参である塩谷氏と下村博文氏の二人の会長代理による「双頭」で運営する形をとっていたが、下村氏を嫌う森氏の意向によって、昨年8月末、新体制に移行した。
すなわち、森氏が安倍派の会長候補として名前をあげる萩生田、西村、世耕、松野、高木のいわゆる「五人衆」を含む15人の常任委員会を設け、塩谷氏を座長に据えて、その幹部組織から下村氏を排除したのである。
塩谷氏を座長としたのも、森氏の意向であろう。後継会長として期待していたわけではない。総理への野心を持たず、森氏にとって扱いやすいからだ。
塩谷氏は、求められて座長になったばかりに、一人で責任を背負うような立場に追い込まれた。
「なんで私一人が貧乏くじを引かねばならないのですか。議員辞職だけは絶対に承服できません」(文藝春秋6月号)と森氏に食ってかかったのもうなずける。
塩谷氏は五人衆や森氏の思い通りにならなかったが、結局のところ、党の処分を受けたなかでいちばん重い「離党勧告」を下された。
岸田首相が裏金議員に厳しく対処していると世間にアピールするには、除名とか離党勧告とか、厳罰を誰かに割り当てねばならない状況だった。
塩谷氏が受け取った裏金の額は234万円。萩生田氏の10分の1以下だ。安倍派の座長というが、実権があったわけでもない。まさに、スケープゴートにされたといえるだろう。









