49度の灼熱インドを歩いて横断した男に襲いかかった人喰いトラ騒動

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「だましてごめんなさい」

彼は最後にもう一度謝って、逃げるように帰っていったという。

つまり、ひとりの日本人学生が支払った500ドルで、サクラになった6人のインド人が1週間タダめしを食らい、宿に泊まり、レンタカー代やガソリン代もカバーした上、代理店としてはありがたい商売にもなっている。それに大学生はこの1週間のツアーに満足している。だれも損をしていない。

「最後にタネ明かしされなければ、なにも疑うことなく帰国していましたよ」

あれ、ここまで書いてみて、これってなんかいい話だなあ。手間のかかったイメクラみたいだ、500ドル(5万円)で1週間も夢を見ていられたんだから。

とにかく、インドの人件費の安さに驚くが、500ドルを売り上げるためにわざわざ暇なインド人6人をサクラに仕立て上げるところがエライじゃないですか。

それでは僕自身の話に移りましょう。

1994年4月9日、インド中部のマディヤ・プラデシュ州の国道3号線を南に向かって歩いていると、前方からちゃっちい布製のリュックを背負った小柄な男がやはり歩いて北上してきた。口ひげを蓄えた精悍なツラがまえのアラサー男だ。インドにはサドゥーと呼ばれるヒンドゥー教の修行僧や遊行僧がたくさんいて、黄や赤やオレンジ色のルンギー(腰巻)に上半身裸か薄手のシャツを羽織って杖や錫杖のようなものを握り、裸足か安物のビーサンをつっかける以外はほとんど所有物を持たずに徒歩でインドを遍歴している彼らによく出会った。たいがい痩せ細って枯れ枝のような体格をしていた。

が、前方から来る男は白のポロシャツ、白のスラックス、白のズックに白のリュックと全身ホワイト野郎で、「苦行中の身です、おめぐみを」という哀れっぽさが微塵もない。いたって明るいスポーツマンといった雰囲気だ。

そしてリュックに貼られたプレートには英語で、

「All India tour on foot –85,000km–with God(全インド徒歩旅行8万5000キロ、神とともに)」

と記されていた。

キラン・マスケと名乗ったゴア出身の彼はありがたいことに英語が流暢で、なんと彼も僕同様あるきすと、つまり徒歩旅行者で、インド国内の全市町村をひとつの漏れもなく訪ねる旅の最中だというではないか。僕は自分を棚に上げて、なんと酔狂なヤツとつぶやいていた。

僕が南下、彼が北上だったからお互いのその日の目的地は違ったけれど、立ち話をして別れて15分も歩いたところで人生最悪の暴風雨に遭遇してしまう。街路樹にとっさにしがみついたから助かったものの、もしつかまるものがなければどこまで吹っ飛ばされていたか知れない。それほどの突風をともなったスコールだった。

しかたなく先へ進むのを断念して宿のあるグナという町まで戻るためにバスに乗ったところ、偶然にも途中からキラン・マスケも乗ってきたではないか。

その夜、僕は彼を食事に招待し、食後も宿に寄ってもらって夜更けまでいろいろ話した。

彼は20歳のときに外交官になったものの、上司からたびたび賄賂を要求されてバカバカしくなって職を辞め、全国を歩いてまわる旅を始めた。それからすでに10年、7万キロを歩き、あと2年で1万5000キロを歩けばインドの全市町村を歩いて訪ねたことになるのだという。ちなみに僕はこの時点でポルトガルから歩いてきた距離が1万3300キロ強しかない。同じ徒歩旅行者として彼の歩いた距離が半端じゃないことはすぐにわかった。

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