失敗だらけの日本外交、歴史修正主義者というレッテルはどう貼られたのか?

 

戦後最悪の外交失策となった「天皇訪中」

戦後の外交失敗で最悪なのは、92年2月に中国が領海法を制定し、日本の尖閣諸島を名指しで中国の領土と明記したのに、日本は数ヵ月後に天皇訪中を強行したことである。

これで、日本は暗黙裏に中国領海法を認めたばかりか、歴史上初めて天皇が膝を屈して中国を訪問したと、相手ばかりか客観的にも、判断されてしまう愚を犯してしまった。

これは小和田事務次官のシゴトだったが、これとセットになるのが、第1次安倍政権の発足直後に、首相が米国を差し置いて、まず中国に飛んでいったことである。

中国はしめたとばかりに、国家主席ではなく、党内序列4位の温家宝首相が日本に乗り込み、安倍政権への「冊封使」としてふるまって見せた。国家元首なみに国会での演説を要求し、天皇陛下に北京オリンピックに来るようにと直に伝えた。

こういう反応になるとは、首相も外務省も、夢にも思わなかっただろう。室町時代に幕府トップの足利義満が、明国から「日本国王」に封じられた記録が残っているが、自ら冊封してくれるよう頼みに行った宰相(行政トップ)は、明らかに歴史上初めてである。中国の正史にそう書き込まれるだろう。

その後、09年に民主党が政権を取ったとき、飛ぶ鳥を落とす勢いの小沢一郎幹事長は、大規模な朝貢団を率いて訪中し、そのうち143人の国会議員がひとりずつ胡錦濤国家主席にツーショット写真をお願いした。

いま、彼らの多くは落選して行方も分からず、小沢氏の落魄ぶりは言うに及ばない。

それなのに、自民党の重鎮である二階俊博総務会長は何も学ばず、今月、韓国に1400人を連れていき、朴クネ大統領に会って慰安婦問題を持ち出されると、「全くその通りです」と同調した。

二階総務会長は続けて5月に、こんどは3000人規模の訪中団を計画しているという。

外務省に有力政治家の国辱外交を止める力はないのかもしれないが、首相を通じて間接的に牽制するぐらいの矜持とテクニックがあってしかるべきだろう。

>>次ページ 過去の外交施策に対し、総括も反省もしない日本

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