米ロ、対立と和解の歴史
少し、米ロ関係をおさらいしておきましょう。
1991年末、ソ連崩壊。90年代は、クリントン、エリツィンで、米ロ関係はおおむね良好でした。しかしその関係は、「金をもらうロシアが、金をくれるアメリカのいうことを聞く」。ロシアは、アメリカの属国状態にあった。
2000年代になると、ブッシュ、プーチンになり、米ロ関係は悪化していきます。
- 03年、ユコス問題
- 03年、ジョージア・バラ革命
- 04年、ウクライナ・オレンジ革命
- 05年、キルギス・チューリップ革命
- 08年、ロシアージョージア戦争
などなどで、ことごとくアメリカとロシアは対立していった。しかし、08年9月、リーマンショックから「100年に1度の大不況」に突入。09年、オバマ大統領とメドベージェフ大統領は和解。「再起動時代」が始まりました。
しかし、12年にプーチンが再び大統領になると、「再起動時代」は終わり。米ロは、再び対立の時代に向かっていきます。両国は、シリア問題で対立。アメリカは、「反アサド派」を支援する。ロシアは、アサドを支援する。14年3月、ロシアはクリミアを併合。アメリカは、欧州、日本を巻き込んで「対ロシア制裁」を実施。そして15年、ロシアは、「制裁」「ルーブル安」「原油安」の「三重苦」でボロボロになってしまいます。
15年から再び「和解」の時代へ
しかし、15年3月に起こった「AIIB事件」でまた風向きが変わりました。イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オーストラリア、イスラエル、韓国など親米国家群を含む57か国が、中国主導AIIBへの参加を決めた。これでアメリカは、「覇権国家の座を中国に奪われる!」と恐怖し、外交が一変します。
ケリー国務長官は2015年5月、クリミア併合後はじめて訪ロ。「制裁解除もありえる!」と発言し、ロシア人を驚かせました。米ロは、ウクライナの和平維持で合意。2015年7月には、米ロの努力により、歴史的「イラン核合意」が成立。2016年2月、これも米ロの努力により、「シリア内戦停戦」に合意(後崩壊)。
このように、オバマは「AIIB事件」後、ロシア、ウクライナ、イラン、シリア問題を超特急で解決していった。一方、2015年9月に訪米した習近平を露骨に冷遇し、「中国叩き」に専念するようになります。