「雨ニモマケズ…」幼少期の暗誦が日本語という「祖国」を作る訳

 

暗誦は強制?

しかし、現代の日本では、詩や名文を暗誦したり朗誦することが、当たり前ではなくなってきた。大学生に好きな詩や文で暗誦できるものを持っているかを聞いたところ、5パーセント以下という結果が出た。…

 

小学校の授業においても、暗誦や朗誦の比重は低くなってきているように思われる。詩の授業を参観しても、その詩を声に出して朗読したり暗唱したりすることはあまりおこなわれず、詩の解釈に時間が割かれることが多い。

と、語るのは、ベストセラー『声に出して読みたい日本語』『同・2」』の著者・斎藤孝氏だ。

暗誦が衰退した背景には、暗誦文化が受験勉強の暗記と混同されたという事情がある。年号の暗記や些末な知識の詰め込みに対しての拒否反応が強かったために、覚えること自体が人間の自由や個性を阻害するものと思われた。
(『声に出して読みたい日本語』)

と斎藤氏は推察する。意味も分からないまま文章を暗記させるのは一種の強制であり、それでは自由な個性や創造力は伸びない、という浅薄な思いこみがあったのだろう。基本の型を徹底的に体得することなしには一流の個性も創造もありえない、という事は、何か一つ芸事やスポーツを習った経験のある人ならすぐに分かることなのに。

名文名句のリズムを身体に覚え込ませる

幼い時期、たとえば小学校就学以前の子どもに、漢詩や和歌を暗誦させるということは、果たして拷問であろうか。あるいは、そのようなことがそもそもできるのであろうか。こうした疑問に対する一つの実践的な解答として、私は大阪のパドマ幼稚園の実践に出会った。そこでは、年少組から漢詩を速いテンポで朗読・暗誦していた。年少組や年中組の子どもが李白や杜甫の詩を大きな声で暗唱・朗誦する様は衝撃的であった。

 

その衝撃はけっして嫌な感じのものではなく、むしろ小気味良いものであった。子供たちの表情は生き生きとしており、速いテンポでそうした調子の良い詩文を朗誦することを、からだごと楽しんでいることがはっきりわかった。これは、詰め込み式の早期教育とは一線を画する実践である。
(『声に出して読みたい日本語』)

「百ます計算」で有名になった陰山英男先生も、長文の素読・暗誦を小学生の授業に取り入れた所子供たちが一生懸命取り組んだ、という実践事例を報告している。

子供たちは、大人以上に身体が柔らかい。リズムやテンポを楽しむ身体感覚が優れている。蕪村や一茶の俳句や宮沢賢治の詩を暗唱している幼児を見ると、それが彼らの身体を喜ばすことになっていると感じる。
(『声に出して読みたい日本語』)

頭で理解させようとするから難しくなり、子どもの方も面白くない。多少分からない所があっても名文名句のリズムを楽しみ身体に覚え込ませる。それは幼児のうちからモーツァルトを聞かせて、音楽の感性を養うのと同じである。

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