「雨ニモマケズ…」幼少期の暗誦が日本語という「祖国」を作る訳

 

祖国とは国語

ある一人の天才が残した言葉が、多くの人々に愛唱されることによって、その心の中に生き続け、その感性を育てていく。また後に続く世代もその言葉を教えられることによって、先人の感性を継承していく。こうして一つの民族は言葉によって共通の感性を育てていくのである。

特に我々日本人は、はるか神話の時代から日本語を育て、また日本語に育てられてきた。その一例として「に関して日本人の感性を磨きあげてきた文章をいくつか挙げてみよう。

石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも
(志貴皇子、奈良時代)

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
(枕草子、平安時代)

春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)
(与謝蕪村、江戸時代)

春のうららの隅田川 のぼりくだりの 船人が 櫂(かい)のしずくも花と散る 眺めを何にたとふべき
(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲、明治時代)

「石ばしる」から「春のうららの」まで1,200年ほども離れている。我々日本人はかくも長い間、繰り返し繰り返し、春を愛でる言葉を生み出し、またその言葉を暗誦することで春を愛おしむ感性を磨いてきたのである。

私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。それ以外の何ものでもない。

とは、フランスのシオランという哲学者の言葉だそうだが、まさに日本人とは日本語の中に生まれ育ってきた民族である。

外国語の文を吸収してしまう力

日本語の力は、また外国語の名文を取り込んで吸収してしまう処にもいかんなく発揮されている。

年々歳々 花相似たり 再々年々 人同じからず
(劉希夷)

国破れて山河あり 城春にして草木ふかし
(杜甫)

これらの江戸時代までの漢文に替わって、明治以降は西洋の名詩・名文もさかんに訳されて、人口に膾炙していく。

山の彼方(あなた)の空遠く
幸い住むと人のいふ。
ああ、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く
幸い住むとひとの言ふ。
(カール・ブッセ、上田敏訳)

秋の日の ヴィオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し。

 

鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
(ポール・ヴェルレーヌ、上田敏訳)

私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ
(ジャン・コクトー、堀口大学訳)

明治、大正、昭和の激動の時代に生きた我々の祖父母や両親の世代は、これらの西洋詩を口ずさみつつ、多感な青春の日々を送ったのである。

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