この本には、2007年公開の映画「それでもボクはやっていない」で痴漢冤罪事件を扱い、日本の刑事司法の問題点を浮上させた、周防正行監督との対談も入っている。この映画は以前に見たことがあるが、すでにおおかた内容を忘れていて、本を読んでからもう一度見た。読んでから見るか、見てから読むか、どちらも有効であるが、わたしのケースが一番理解しやすいと思う。本でも映画でも、いわれのない罪で逮捕されてしまった人が主役で、冤罪を雪ぐための戦いを描いている。冲方は社会的立場もあり、経済力もあったので、まだ恵まれていたほうだったが、社会的弱者である痴漢冤罪の青年は裁判まで行って……。
周防は「もし万が一、いわれのない罪で逮捕されてしまった場合、重要になるのは、まずいい弁護士に出会うことです。その次にいい検察官にあたり、それでも万が一不起訴にならず裁判になったら、最後はいい裁判官にあたること。でなければ、冤罪を回避することは困難でしょう。それがこの国の現実です」と言う。いい弁護士って、経済力がないと難しいのではないか。それからあとは運次第かい。確率的に冤罪の回避は不可能だということだ。捕まってしまったら、警察も検察もまともに話は聞いてくれない。彼らがいう捜査とは、自分たちが作ったストーリーに合う証拠を当て嵌めていく作業に過ぎない。
わたしは今でも裁判員制度は大反対だが、裁判員裁判に該当する事件は録音・録画が必須となったので、取調室が可視化された。従来の捜査システムは変えざるを得なくなった。これは画期的ことだ。映画が公開された後、痴漢冤罪で捕まった人がいて、その奥さんは映画を見ていたから「私はあなたを信じているから、やったと認めて早く出てきて」と言ったそうだ。否認し続けることの弊害を映画で学んでしまったわけだ。周防はそれを聞いて、果たしてこの映画を作ってよかったのか悪かったのかと語る。映画公開後、ある痴漢冤罪事件が最高裁までいって逆転無罪になった。これは映画の影響に間違いない。
日本の刑事司法システム腐敗のおおもとは裁判所、というところで二人の意見は一致する。裁判所は自分たちが仕事をしやすいように、警察や検察を指導してきたからだ。「裁判所というのはもはや人権を守る最後の砦ではなく。『国家権力を守る最後の砦』だということ。だから、現状のシステムがまかりとおっているうちは、冤罪に巻き込まれたらまず勝てない」と周防。ああ、無力感がどっと押し寄せてくる。冲方みたいに「笑うしかない」というのも、効果があるかどうか。わたしは交通機関内の痴漢冤罪は回避できる。なぜなら、交通機関をまったく利用していないからだ。自慢することじゃないが。
編集長 柴田忠男
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