では、今後日本は以前のアメリカのように、Rustな状態からRichesな状態へ新陳代謝を実現できるのでしょうか。
この課題を考えるためにも、過去のファクシミリやワープロの逸話を改めて見つめてみたいのです。
実は、近年アメリカで注目されたハイブリッド車の開発に成功したトヨタなど、日本の基幹産業ともいえる自動車業界が、ファクシミリやワープロと同じ運命をたどるのではないかという危惧もあるからです。
つまり、トヨタのプリウスに代表されるハイブリッド車がアメリカで人気を博していた頃、自動車業界とは一見無縁のシリコンバレーでTeslaが粛々と開発されていたのです。 アメリカの自動車業界はRustの象徴でした。そして、日本の自動車業界はRichesそのものでした。
ちょうどIBMがパソコンを開発したときのように、Teslaが登場し、ちょうどパソコンがインターネットにフックした時にオセロゲームのように通信機器市場が変化したように、Teslaなどで開発された電気自動車の技術がAIにフックしたとき、日本の競争力は致命的な打撃を受けるのではと危惧するのです。
ワープロを代表する「書院」を開発したシャープは、すでに台湾の企業に買収されています。同じ家電業界でいえば、東芝の状況も惨憺たるものです。 Teslaの開発は10年以上に及ぶ長期的なものでした。
日本では失敗は成功の元という諺がありますが、失敗を繰り返しながらも執拗に投資を続け、より強力な商品を開発することはもともと日本のお家芸であったはずです。
バブルの頃、アメリカは長期的展望にたった企業経営をしていないと批判したのは日本の経済界だったのです。 日本企業に必要なことはリスクをとる気概です。日本の社会ではリスクをとって失敗した場合、徹底的に責任が追及されます。
失敗を成功に変える前に責任追及のモードの中で、成功の芽そのものが摘み取られます。責任を追及するのではなく、そこから何を学んで未来に伝えるのかという試行錯誤の意思がなければ、未来の市場は開発できません。
ワープロやファクシミリのように、世の中が大きく変化するとき、それを先取りして気の利いた商品を作ることが得意な日本ですが、本格的に未来のインフラそのものを変化させる商品開発には極めて脆弱なのです。リスクを回避するために完璧な準備をするのではなく、未来の絵を描いて、そこに向けて稼働しながら調整を繰り返すことで成功をつかむという考え方が必要です。
今回のヘッドラインのように、2016年5月にTeslaがトラックと衝突し、運転手が死亡するという事故がありました。自動運転の限界ということでTeslaの安全性が問われました。しかし、アメリカの国家安全運輸委員会 US National Transportation Safety Board は調査の末にドライバーのミスをみとめ、自動運転そのものの課題は指摘したものの、Teslaの企業としての責任は追及しませんでした。
このヘッドラインのように、Teslaは、自動運転の技術が抱える課題を共有するべきだとは指摘しましたが、それはあくまでも未来に向けた課題設定だったのです。極めて迅速で合理的な判断でした。同じことが日本でおきた場合、どれだけの時間とエネルギーが責任追及に向けられるかと思うのです。安全とリスク、そして未来への挑戦という3つの軸のバランスをみるとき、日本は安全に傾斜し、アメリカはリスクと未来への挑戦に傾斜します。
その是非はともかく、ワープロとファクシミリの教訓を繰り返さないために、今日本の企業が意識と組織改革の双方を求められていることだけは、事実なのではないでしょうか。
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