【グルメ×サクセス】日本のフランス料理の次元を変えた男の捨て身の生き様

三國 清三シェフ1
 

吉本興業で横山やすし・西川きよしのマネージャーを務め、数々の芸人を育て上げ漫才ブームを築いた、吉本興業元常務取締役の木村政雄氏。そんな同氏が編集長を務める、50代以上の世代に向けたメールマガジン「5L(ファイブエル)」が発刊された。

そこで今回は、「5L」の記念すべき1号を紹介。内容は、世界の三ツ星レストランで修業し、東京・四ッ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店、ルレ・エ・シャトー協会の世界5大陸トップシェフの1人に選ばれた三國 清三シェフとの対談となっている。


■捨て身でぶつかれば、きっと道は開ける。
三國清三(オテル・ドゥ・ミクニ代表)

一五歳で、都会に働き出る息子に、母親はこんな言葉を送ったそうだ。「お金がなくても学歴がなくても志は平等だ」畑仕事で一日中泥まみれの母親の精一杯のはなむけだったのだろう――。

それから少年は「平等な志」を存分に発揮し、人が嫌がる鍋磨きに夢中になり、洗い場を突破口に、世界に飛び出した。

木村 このたびは、レストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」開店三〇周年と還暦、フランソワ・ラブレー大学から名誉博士号授与という三つの快挙を祝って、盛大なパーティーが開かれましたね。おめでとうございます。三國さんの資料を拝見して感じたのは、困難な局面を切り開いていく、並外れた「突破力」ですね。

三國 僕が生まれた北海道は競走馬の聖地で、ディープインパクトとか、いまも日高の牧場にいて、会いに行ったりするんですよ。だけど北海道には、もうひとつ「ばんば(輓馬)」ってあるのをご存じですか。

木村 そりを引く、ばんえい競馬ですか?

三國 それです。北海道では「ばんば」って呼ぶんです。サラブレッドとは違い、太くて短足の農耕馬が人を乗せたそりを引っ張って競争しますが、あれ、すごく重いんですよ。だから坂を登るとき、馬はヒーヒー鳴くんです。僕はサラブレッドではなく、「ばんば」の馬。増毛の生まれで、幼い頃から厳しい境遇にいたので、何が何でも壁を乗り越えてやるという「突破力」は、並外れているかもしれません(笑)。

木村 増毛町といえば、明治から昭和初期まで、ニシン漁で有名でした。ニシン御殿とかあるんでしょ?

三國 でも、僕が生まれた頃にはニシンがいなくなって寂れ、僕とクラスメートのT君の二人は究極の貧乏でした。僕の弁当はご飯だけ。七人兄弟で、兄二人は中卒後に大工の住み込みで働き、姉二人は出稼ぎ。僕も当然高校には行けない。でも、どうしても学校に行きたかった。担任の先生に相談すると、札幌の米屋で住み込みで働けば、食わせてくれて、夜間の調理師学校に行かせてくれると言われ、T君を誘って丁稚奉公に行ったんです。

木村 じゃあ、料理人を目指して調理師学校へ入られたんじゃなく、学校であればどこでも良かったんですか?

三國 まあ、そんなところです。だけど、米屋の三人姉妹の長女が栄養士で、毎晩いろんな料理を作ってくれるんです。増毛では魚と芋や野菜しか食べたことがなかったのに、娘さんが作ってくれるのはマカロニグラタンとかポークソテー。そんなある日、楕円形のかたまりに、黒いどろどろの液体がかかった料理が出た。悪ガキで何でも口に入れていた僕は、母に「黒いものだけは絶対に食うな、死ぬぞ」と言われて育ったので、不景気で口減らしに毒を盛られたんじゃないかとびっくり(笑)。

木村 あははは。

三國 でも、みんな、おいしそうに食べているし、僕も恐る恐る箸でつついたら中から肉汁がワーッと溢れた。液体をなめると甘酸っぱい。初めての経験でした。お姉さんに「これ、なんていう料理だべ?」と聞くと「ハンバーグ」。その瞬間に、僕はハンバーグを作る料理人になると決心したんです。

木村 なるほど。あの当時、洋食は都会でもまだ珍しい時代でしたからね。

三國 ましてや陸の孤島の増毛では、料理に和・洋・中があることすら知らなかった。ハンバーグを夢中で食べていると、お姉さんが言うんです。「私のハンバーグより、札幌グランドホテルのハンバーグの方が何十倍もおいしいわよ」と。

木村 札幌グランドホテルって北の迎賓館と言われた、北海道随一の由緒あるホテルじゃないですか。

三國 はい、そのとき、札幌グランドホテルでハンバーグを作る人になろうと思ったんですね。するとお姉さんが「そのホテルは中卒は入れないの。キヨミちゃんは町の洋食屋に入りなさい」。カチンと来て、心の中で、「絶対、札幌グランドホテルに入ってやる……」。

帝国ホテルで味わった初めての挫折
「くそ!」という気持ちが湧きあがった

木村 学歴の壁を、どうやって打ち破るつもりだったんですか?

三國 あてなんてありません。悶々としているうちに調理師学校の卒業の日が近づいてきた。卒業記念のテーブルマナー教室が札幌グランドホテルであると聞いて「これだ!」と。当日、厨房の見学のとき、五四人のクラスメートのいちばん後ろに回って厨房の隅に隠れました。そしてスタッフの様子から後ろ向きに座っている大柄な人が責任者だと判断し、声を掛けたんです。

木村 一六歳といえば、まだ子どもですよ。そんな子に声を掛けられて、さぞかし相手もびっくりされたでしょうね。

三國 「お前、どこから来たんだ!?」。僕は「増毛だ」と答え、懇願しました。「自分は中卒で、ここに就職できないのは知っているが、どぶ掃除でも何でもするから、ここで使ってほしい」と。その方は青木さんという料理課長だったんですが、ちょっと考えて「地下の従業員食堂の飯炊きのおばちゃんの手伝いなら」と言ってくれ、翌日から働くことになりました。

木村 なるほど、ガッツがありますねぇ。

三國 僕には帰るところはないですから、必死ですよ。従業員食堂の飯炊きは夕方で仕事が終わります。ヒマなので青木さんに頼んで、宴会場の皿洗いを、一手に引き受けました。すると夜一〇時頃には洗い物は全部片付いているから、先輩たちも喜んで僕をかわいがってくれ、半年たった頃、特例で正社員にしてもらえました。社員寮があったんですが、ほとんど帰らないで、ホテルの厨房に残って毎晩、オムレツやステーキなど料理の練習をしました。

木村 勝手に食材を使って大丈夫なんですか?

三國 いまでは考えられないことですが、当時は在庫管理とかほとんどしてなくて、じゃんじゃん練習しました(笑)。手に職の仕事って、速くて、きれいで、すばらしければ、年齢・学歴は関係ない。で、「きみ、オムレツできる?」「はい!」。そしてパパッと見事にやって見せる。もし、そのとき「できません」と拒否していたらチャンスは逃げていく。そうやって、一八歳で料理長補佐としてステーキワゴンを任されていました。

木村 すごい! でも、それだけ札幌グランドホテルで認められていたのにどうして東京に出ようと思われたんですか?

三國 生意気盛りですからね。あるとき怖い先輩に呼ばれて「お前、札幌グランドホテルでちょっとできるからといっていい気になるな。東京には日本一の帝国ホテルがあって、そこには神様と呼ばれる村上信夫料理長がいる」と。僕は神様という言葉に反応しました。貧乏暮らしでも親を恨んだことはありませんが、神様には恨みがあった。何でこんなに不平等なのかと。とにかく神様に会いたいと思い、村上料理長と懇意だという総料理長に紹介状を書いてもらい、初めて津軽海峡を渡りました。

木村 戦後の日本にフランス料理を広めた超有名人のムッシュ村上(故人)ですね。どんな方でしたか?

三國 穏やかな印象で「オイルショックで帝国ホテルも希望退職者を募っている。だから、すぐに正社員は無理だが、アルバイトで働いて欠員がでたら正社員になる順番制があるのでどうか」とおっしゃったんです。札幌グランドホテルでは料理人が五〇人でしたが、帝国ホテルでは六〇〇人。その洗い場が僕の仕事場になりました。

木村 でも、札幌グランドホテルの料理長補佐にまでなったのに、また洗い場に戻って、悔しくはなかったんですか。

三國 まあ、何とかなるだろうと。父が漁業、母が農業で朝から晩まで働くのを見て育った僕は、人が嫌がる仕事も、全然嫌じゃないんです。ところが一年たってもアルバイトのまま。そのうち正社員の順番待ちの制度が廃止になり、初めて「挫折」を味わいました。どんなにがんばっても、ダメなものはダメなんだと……。

木村 後悔もあったんじゃないですか?「あのまま札幌に残っていれば良かったのに」なんて。

三國 札幌グランドホテルを退職するとき、上司や先輩から、ぎりぎりまで引き止められたんですよ。「内地(本州)は鬼ばっかりで、食われてしまうぞ」「田舎者が東京で成功するわけがない」。それを押し切って上京したので、もう帰るわけにもいかない。悩んだ末に八月一〇日の二〇歳の誕生日に「一二月いっぱい働いて、北海道にこっそり帰る」と決めました。そのとき「くそ!」という気持ちが腹の底から湧きあがったんですよ。二年間アルバイトだけど、日本一のホテルの洗い場を担当した者として、ホテルの鍋を全部、自分の手でピカピカに磨いて去る、そう誓いました。それから毎晩、自分の仕事が終わったら一八あるレストランをすべて回って、鍋を磨かせてもらったんです。

覚悟と別れの「鍋磨き」が切り開いた
トップシェフへのサクセスストーリー

木村 そして、村上さんから、運命の呼び出しがあったんですね。

三國 一〇月ぐらいでしたね。どうせ解雇されるんだろうと覚悟を決めて、料理長室に行きました。すると村上料理長は……≪続きはこちらからお楽しみください≫


元吉本興業常務・木村政雄編集長メルマガ「ファイブエル(5L)」1号(2014年12月12日)
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