失ってわかった「めんどくさい」の有り難さ。原発事故被災地は今

 

「ずっとめんどくさいって思ってたものが、ぜ~んぶなくなったの。めんどくさいがなくなったら、み~んななくなっちまった」

縁あって通い続けた福島県川内村の人たちは、いつもこう言っていました。

家族、親戚、ご近所ーー。どれもこれも「当たり前」の日常に存在するもので、ときにめんどくさい関係になったり、めんどくさい行事に付き合わなくてはならないもの。そのめんどくさいものがなくなって、その大切さが身にしみると。めんどくささの裏側に幸せがあったと嘆いていたのです。

ところがその人々を結びつけていた目に見えない“力”が、あの事故で壊された。

山に囲まれ、田畑が広がる川内村の人たちは、当事者の方たちでしか知り得ない苦悩と怒りと、悲しみを抱えていました。

川内村は原発事故の3月17日、村長の英断で全村避難し、その1年後「帰れる人から帰ろう」を合い言葉に、村長が帰村宣言。私は村長と報道番組でご一緒させていただいたときに、

「なぜこんなにも普通の生活に戻ることが難しいのか。インフラは役場でなんとかする。でも、村民たちの“川内村の誇りが失われている心の復興が必要なんです」

という話を聞き、「私にお手伝いをさせてください!」とお願いしました。

そして、村長との出会いから1年半あまり、高校の同級生の男子2人を巻き込み、月1、2回川内村に通い、「10年後の川内村を作ろう!」をスローガンに川内村民の若者たちと活動したのです。

しかしながら、“お手伝い”がいかに難しいのか。自分の奢りではないか。

そんな自責の念にかられることがしばしばありました。

村に通えば通うほど“目に見えないもの”の大きさを痛感し、村民の胸のうちを知れば知るほど、自分の微力さが恥ずかしくて。

力になりたい」気持ちはあるのに「それが村民の方たちの力になっているのか?」がわからなくなっていったのです。

それでもなんとか一緒にがんばってくれるメンバーたちと、「川内村の人たちが10年後の川内村に残したいもの、取り戻したいものは?」という問いかけを村民に行い、村民の“声”をアンケートやミーティングで拾い上げ、今から4年前の12月に“川内村ドンドン祭り”を開催し、パネルディスカッションを行いました。

“ドンドン”とは、私たちの活動メンバーのチーム名で、「ドンドンやろう!ドンドン広げていこう!」という思いを込めてつけたもの。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け