これぞ日本人。800人の彷徨うロシア難民の子供を救った男たち

 

危険な航海を成し遂げた船長の手腕

800名の子供たちを乗せた陽明丸ですが、3か月の大航海の中でも最大の難所は最終目的地のフィンランドに向かうバルト海でした。バルト海は第一次世界大戦中、連合国軍とドイツ海軍が激戦を繰り広げ、おびただしい数の機雷が敷設されていました。この危険極まりない海を無事抜けることができるのか。すべては茅原船長の腕一つにかかっていました。

バルト海航海に臨むに当たって茅原船長はまず、機雷の実態に詳しい地元の熟練のパイロット(水先案内人)を探し出して協力を求めました。茅原船長や水先案内人をはじめとする船員たちは、24時間態勢で目を皿のように凝らし、全神経を水面に集中させながら、ゆっくりと船を進め、約一週間をかけて無事コイビスト港に投錨するのです。

 

この辺りのいきさつは茅原氏の手記には詳しく記されていませんが、心身ともに極限状態を強いられる持久戦だったことは想像に難くありません。茅原氏はこのような卓越した能力の持ち主でありながら、一方ではとても優しく温かい人柄だったことが、彼の手記からは窺い知ることができます。

この茅原船長の言葉のように、戦争や飢餓を経験し、死の恐怖に怯え続けた子供たちにとって、陽明丸での3か月間の大航海は文字どおり幸福な楽園だったようです。赤十字の潤沢な資金によって船内には食べ物や衣類がふんだんに積み込まれていたのですから、それだけでも別世界でした。彼らが帰国後にずっと隠し持っていた数々の写真からは、船上生活の喜びが伝わってくるようです。

「陽明丸」の救出作戦が展開されたのは、日本人の心にまだ日露戦争の記憶が鮮明に焼きついている頃でした。ロシアに対する反感が根強かったことを考えても、この大航海がどれだけ勇気の要ることだったかが分かります。北室さんは勝田船主や茅原船長に共通するものとして「義侠心」を挙げられています。身を捨てる覚悟で子供たちの救出活動に臨んだ先人の生き方に、私たちも学びたいものです。

image by: Shutterstock.comWikimedia Commons

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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