これは、担任から子ども相手でも当てはまるので、教える立場にある人は重々気を付けるべきことである。子どもは、大抵どうにかしようがある。ほとんどが、大人の側の対処能力の問題である。
人間関係の大抵は、自分でどうにか善処できる問題である。(「解決」ではない。「善処」である。ましにできる程度かもしれない)。「自分は悪くない」と言ってしまいたい気持ちはわかる。私もよくある。しかし、それは、基本的に敗北宣言なのである。
例えば、会議が毎度長いとする。確かに、それは司会が無能なのである。確かに、それは原案が不備、つまり、提案者の能力不足なのである。それは、間違いない。しかしである。その会議のメンバーに、自分も含まれているのではないか。そこに対してものを言わないのは、自分ではないのか(原案にもの申すことを推奨しているのではない。会議中にやたらと噛みつくのは、全員の時間の浪費である)。「自ら動け。さもなくば従え」が原則である。要は、会議が長い原因に対して、自分が何の手も打ってないから、いつになってもさっぱり変わらないのである。
満員電車に文句を言っている人たちと全く同じである。その人も満員の原因の一つ(というより根本的要因)なのである。愚痴を言っている間は、その他大勢と同じである。
主体性を育てることが大切だという。それは、自分に都合のいい自己主張をする人間を育てることではない。主人公を育てることである。主人公は、ストーリー全体に深く関わる。自らの問題として、困難に立ち向かう存在である。
厳しいことを書いてきたが、私自身も苦渋を舐めてきた経験が山ほどある。変えたくても変えられない自分がいた。環境に振り回されて、のたうち回る自分がいた。場の力に抗えず、屈するしかない弱い自分もいた。愚痴っても、慰めてくれるだけで誰も助けてはくれないし、何の解決にもならなかった。
働き方改革を求めるなら、組織や上司、同僚の問題をあげつらっても無駄である。自分自身に改革を起こす以外にない。それが面倒なら、強い者、組織に従うべきである。
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