山本太郎氏を呼び捨てにし「敬称ポリス」に捕まった池田教授の話

 

日本はオーストラリアと対照的に、自分の家の表札にDr.〇〇などと掲げている人は皆無である反面、私的な会話では敬称を付けるか付けないか、付けるとしたら、さん、君、のどちらにするか、はたまた、先生、社長、教授にしようか結構迷うことも多い。そこで、文脈を無視してすべて敬称を付けるべきとの考えが正しいと思うと、先に記した「敬語マナーポリス」みたいな人が現れることになる。

どの敬称を選ぶか考えるのが面倒なので、あるいはすべての個人は平等なので、すべて「さん」で呼ぶという人もいて、それはそれで合理的で文句を言う筋合いはないのだけれど、例えば、私が学生や元学生や親しい友人たちを、「さん」付けするか「君」付けするか、呼び捨てにするかは、私と相手との親密度や信頼度によって変わってくるわけで、うまく使い分けることによって、コミュニケーションがスムーズに進むこともあるし、私はあなたが思っているほど、貴方のことを考えているわけではありませんよ、ということをインプリシットに表現することもできるので、私的にはこちらの方が素敵だと思う。

早稲田大学に勤めていた時、ゼミに入ってきた学生諸君を私はすべて「君」付けで呼んでいた。大学に入学したての女子学生の中には「君」でなくて「さん」ですと不可解な顔をする子もいたけれど、このゼミは男女平等なので、すべて「君」と呼びます、と説明するとびっくりしながらも大方は納得してくれたみたいである。高校までは女子は「さん」と呼ばれるのが当たり前になっていたので、びっくりするのは無理もないけれどね。

そう書くと、「それは貴方(私)が権力者だからイヤイヤ納得するふりをしたんだよ」と知ったようなことを言う人がいるのは承知しているが、対面で話していれば、相手が納得したか不服に思っているかは大体わかる。ヒトは表情筋が発達していているので、納得していない場合は『分かりました』と口では言っても、顔には『ザケンじゃねえよ』と書いてあるからである。それはともかく、女子学生でも「君」付けで呼ばれることに馴れてしまえば、違和感はなくなってくるのが普通だろう。

ゼミを始めて暫く経ってくると、何となく相性が合う学生と、親密度の距離がなかなか縮まらない学生が出てくる。前者の学生たちの中で特に信頼する学生は、授業以外の時は呼び捨てにすることが多くなり、後者の学生たちはいつでも「君」付けで呼ぶことになる。私との信頼度という基準に照らせば、池田ゼミ内でのヒエラルキーが上位の学生は、私に呼び捨てで呼ばれる学生であり、私に「君」付けで呼ばれる学生はヒエラルキー下位の学生ということになる。こう書くと、私がえこ贔屓をしているのじゃないかと思われる人がいると思うが、ゼミの中で最も優秀で評点が高い学生は、大方「君」付けで呼ばれる学生なのだ。

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