親として我が子についつい言ってしまう「勉強しなさい」という言葉ですが、逆に「なぜ勉強しなきゃいけないのか」と子供に問われたら、答えることはできるでしょうか。こんなに困ってしまう質問はなかなかありませんよね。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、そんな「難問」への回答のヒントを記してくださっています。
勉強は何でするの?
今、子どもたちに、家庭学習の時間がたっぷりある。こういう時こそ、本物の勉強のチャンスである。
与えられた課題を待っているより、自分で見つけて取り組む方が、当然上等である。大きな宿題もない今こそ「大好きな〇〇」についての勉強チャンスタイムである。たとえインターネット環境がなくても、図鑑一つで、家の中でもできる。幼くても、志のある子どもは、こういう機会に勉強をしている。
さて、これは大人にこそいえる。勉強は大切である。言わずもがなである。だから「勉強しなさい」と言う。
それに対し、子どもに「なんで?」と聞かれたとする。
どう答えるか。
「将来必要だから」系では、子どもは納得しない。子どもは「今」を生きているのである。大人のように、老後の死ぬ間際の心配までするような思考回路の構造ではない。
「何で勉強するの?」
これに親や周りの大人が答えられない以上、目の前のだらだらしている子どもが自ら勉強をやるようになることはない(放っておいても、将来的に気付く子どもは自分で気付く。気付かない人は、大人になっても気付かない)。
勉強をする理由については、様々な偉人・賢人が述べている。
私が好きな言葉は、作家の中谷彰宏氏の言葉である。「勉強していないと、見えるものも見えない」「知識が0の人と100の人は会話にならない。1あれば会話になる」というもの。
賢人バルタザール・グラシアンも「知識がなければ、この世は闇だ」と述べている。
要は、知識があるからこそ、見えるようになるということである(逆もあるが、長くなるのでここでは深入りしない)。
雨が降っている。それを「今日はしやしやと降っていますね」と表現するのは、日本語を知っているが故である。「霧雨ですね」「小ぬか雨ですね」と返せるのは、言葉を知っているからである。言葉の豊かさが、感性を規定するという面がある。
絵を見る。ある人は「絵が上手」と思って終わり。ある人は、その作者の作品をたくさん知っていて、比較して鑑賞することができる。見えるものが、全く違う。
知識が、知性を生む。知性とは、人間の人間たる証である。勉強は、人間として生きていく上で、とてつもなく大切なのである。
勉強しなさい。言われてやることほど、つまらないものはない。子どもは、大人が勉強しているのを見て、真似したくてするものである。
勉強は、知への欲求行動であり、始まったら止められない。勉強は、すればするほど知らないことが増えて、すればするほど楽しくなるものである。
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